幻になった「京阪電車の梅田行き」 いまなお残るその痕跡(写真11枚)
関西大手私鉄の多くは「キタ(梅田)」か「ミナミ(難波)」の繁華街にターミナルを設けていますが、京阪電鉄はどちらにも乗り入れていません。しかし、かつては梅田への乗り入れ計画があり、その痕跡が意外な場所に残っています。
現在の京阪線から1km以上離れた場所
大阪市の中心部を一周する、JR西日本の大阪環状線。その桜ノ宮~京橋間に「京阪電鉄乗越橋」があります。
しかし、京阪電鉄の線路はここから約1.3kmも離れたところにあります。過去に京阪電鉄が運営していた廃止路線が、ここをくぐっていたという事実もありません。にもかかわらず、なぜJR線の橋りょうが「京阪電鉄」を名乗っているのでしょうか。
京阪電鉄はかつて、「キタ」こと大阪の梅田に乗り入れようとしていたことがありました。この「京阪電鉄乗越橋」は梅田乗り入れ計画の名残です。
京阪電鉄は明治末期の1910(明治43)年、大阪市内の天満橋にターミナルを置き、淀川の左岸(南東側)を通って京都に至る路線を完成させます。これが現在の京阪本線です。さらに同社は大阪~京都間に「ライバル鉄道」が参入しにくいよう、淀川の右岸(北西側)を通る新線(新京阪線)も計画。先に開業した京阪本線の天満橋ターミナルを起点に北上し、淀川の右岸にわたって京都方面に向かうことが考えられました。
鉄道省(現在の国土交通省)は1919(大正8)年、京阪電鉄に対して新京阪線の営業を許可しましたが、このころ、大阪(梅田)~京橋~天王寺間の国鉄城東線(現在の大阪環状線)を高架化する計画も浮上していました。そこで京阪電鉄は、新京阪線のターミナル予定地を天満橋から梅田に変更。ルートの一部は城東線の高架化が完了したあとに残る、地上線の敷地を使うことにしました。
大阪の繁華街のひとつとして発展していた梅田に乗り入れれば、利用者も増えます。また、城東線の地上線敷地を購入できれば、一般の民家や商店を撤去して線路を建設するよりは安上がりというメリットもありました。
土地勘がない人間にとって、この記事は読みにくい。
文章の合間に地図をのせてくれた方がもっと読みやすくなるのでは?
ほお