「JAS」の祖先「TDA」設立から半世紀 国内初のエアバス機も導入した元「国内3大航空会社」
奇しくも「元JAS機」が消えてすぐに…。
1971年設立、1988年に「JAS」へ
TDAは、1971(昭和46)年5月15日に、日本国内航空と東亜航空が合併し誕生しました。発足後は、政府主導で国内航空会社3社(JAL、ANA、TDA)の路線ネットワークの方針を定めた「45・47体制」のもと、おもに国内線のローカル線に就航しつつも、1975(昭和50)年から国内幹線である東京~福岡、札幌線にも参入しました。
1985(昭和60)年に増大する航空需要に対応すべく「45・47体制」が廃止。規制が緩和されると、TDAは国内幹線への参入を本格的にスタートさせたほか、国際線の参入準備を進めます。初の国際線運航は、1986(昭和61)年9月19日の大阪~ソウル線でのチャーター便でした。その後1988(昭和63)年、国際線展開に先立ち、TDAからJAS(日本エアシステム)に社名変更。7月には、初の国際線定期便として成田~ソウル線を開設しました。
なおTDAからJASとなったあとも、「レインボーカラー」と呼ばれた機体の塗装はそのまま存続されます。TDAは日本で初めてエアバス機「A300」を1980(昭和55)年に導入。「レインボーカラー」は、この際、当時のエアバス社のコーポレートカラーを、特別に譲り受けたものとされています。
JASはその後、2002(平成14)年にJALと経営統合し、現在ではJALの一部となっています。奇しくも2021年には、旧JAS機の「ボーイング777-289」が退役。これで、かつて「JAS」の文字を背負ったことのある機体が、JALから消えてしまったことになります。
【了】
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