【懐かしの私鉄写真】形態は多種多様 昭和41年に撮影した東急電鉄の旧型車両たち

東急電鉄田園都市線の溝の口~長津田間が開業した1966(昭和41)年、3000代を冠する旧型車両が目蒲線や池上線をはじめ、東横線でも主力車両として使われていました。その形態は多種多様です。

この記事の目次

・撮影はレンズシャッター式の一眼レフカメラで
・高性能車は7200系や8000系が登場していない頃

【画像枚数】全18枚

撮影はレンズシャッター式の一眼レフカメラで

 今から半世紀以上前の1966(昭和41)年、東急電鉄ではこの年の4月1日に田園都市線の溝の口~長津田間が開業しています。私は大学の専攻課程に進んで時間に余裕ができたのと、そこそこまともなカメラを使えるようになったので、首都圏の大手私鉄を中心に撮り歩きをしていました。

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デハ3150形3155。昭和2年、川崎造船製で、屋根が深く腰高のスタイルは、この頃の同社の特徴といえる。運転室の奥行き拡大などで前後の扉位置は変更。中間にはサハ3100形が連結され、最古参と2番目に古い形式の組み合わせとなる。撮影場所は蒲田駅の近くで、当時は駅の手前で目蒲線と池上線が合流していた(1966年2月5日、楠居利彦撮影)。

 そのカメラは一眼レフではあるけれどレンズシャッター式で、シャッターを切ったらミラーは上がったままです。レンズも標準だけなので変化のある写真は撮れませんが、どの車両もほぼ同じ角度で写っているから、今になれば個々の比較などにはこの方がよかったと思います。

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サハ3100形3101。大正14年、藤永田造船製で東急初の半鋼製車となった。新製時はモハ100形で、運転室の拡大により車体が延長され、1500V昇圧時にサハとなった。台車の形態が珍しくてシャッターを切ったもので、その構造からメーカーは雨宮製作所ではないかと思われる(1966年2月5日、楠居利彦撮影)。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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