魚雷に人間ライドオン! わずか2人で戦艦撃沈&奇跡の生還までのドラマ 100年前イタリア

いち技術将校が“個人的に” 新兵器開発へ

 ジャンプ艇によるポーラ軍港襲撃が行き詰った頃、ジェノヴァ海軍工廠の兵器実験部に勤務していたラッファエレ・ロセッティ技術将校は、兵士が潜水服を着て乗り込む小型海中兵器の開発計画を暖めていました。

 いわば「オートバイ型魚雷」といえるもので、これに乗って隠密裏に敵の防御網を突破した潜水服姿の兵士が、ひそかに敵艦の底面に時限爆弾をセットすることで敵艦を撃沈しようというものです。このアイデアはすでに1915(大正4)年には着想されていたものの、当初は海軍当局には相手にされていませんでした。

Large 210726 mignatta 02

拡大画像

第1次世界大戦後、イタリア国内にあるラ・スペツィアの海軍技術博物館に展示された人間魚雷「ミニャッタ」の試作1号機(吉川和篤所蔵)。

 しかし彼はあきらめず独自に研究を重ね、翌1916(大正5)年には敵であるオーストリア・ハンガリー二重帝国の大型魚雷2発を手に入れ、密かに開発を続けます。このような行いに対し、イタリア海軍の首脳部は「ロセッティは“海の騎兵”を創作している」と冷笑の種にするほどでした。

 それでも開発を続けた結果、1918(大正7)年に試作機は完成します。魚雷を改造した小型海中兵器は2人乗りで、圧縮空気によって速度5.5km/h、航続距離16kmという性能を発揮。とはいえ、時限式起爆装置はロセッティの私物の古時計を改造した手作りの「一品モノ」でした。

 試作機は同年10月下旬、イタリア海軍の将官の前で前述のジャンプ艇とともに最終実用試験を受けるまでに至ります。試験では見事、水中において魚雷防御ネットの切れ目をすり抜けることに成功し、2人乗り魚雷は実用兵器としてジャンプ艇よりも優れていることを証明したのです。しかし海軍は、一技術士官が個人的に製作した試作機に敗れるという事実をなかなか認めませんでした。

【ギョギョッ!】人間魚雷「ミニャッタ」に乗るのに必須のゴム製スーツ

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

1件のコメント

  1. 乗員が脱出できない自殺兵器・人間魚雷がこの数十年後にどこかで作られ多大な損失を味方に与えましたね。