東海道本線・京都~大津「大回りルート」廃止から100年 廃線跡は交通の大動脈に
JR東海道本線の京都~大津間が現在のルートに切り替わってから、2021年8月1日で100年を迎えます。それ以前は京都市内の山間部を南に大回りするルートでしたが、なぜそんなルートとなっていたのでしょうか。
京都と大津の間に立ちはだかる難所
JR東海道本線(琵琶湖線)の京都~大津間が、2本のトンネルで抜ける現在のルートに切り替わってから、2021年8月1日で100年を迎えます。
それ以前の旧ルートは、京都駅を出ると現在のJR奈良線のルートで南下し、稲荷駅から北東に向きを変え、勧修寺付近の旧山科駅、現在の京阪京津線の大谷駅付近の旧大谷駅を経て、長さ665mの旧逢坂山トンネルを抜け大津市街に到達していたのです。現在のルートよりも6.6km大回りとなるルートでした。
京都~大津間は1880(明治13)年に開業。日本初の鉄道とされる新橋〜横浜間が開業した1872(明治5)年からわずか8年後のことで、すでに開業していた神戸~京都間を、東京に向けさらに東へ延伸する一歩となりました。
ただ、この区間には東山連峰と比叡・醍醐山地というふたつの急峻な山が立ちはだかっています。長大なトンネルを建設する技術もない時代、少しでもトンネルを短くするため、東山連峰は南端を迂回し、比叡・醍醐山地はなるべく勾配で標高を稼ぐというルートが取られたのです。
1889(明治22)年に東海道本線の新橋~神戸間が全通。京都~大津間は関西・関東をむすぶ交通の要所となりました。
当時は客車の照明は電球ではなくランプが使われていたため、列車が日没を迎えるとランプを車内に吊るす作業が行われており、同時にランプや燃料などを保管する「ランプ小屋」が主要駅に設置されていました。そのうちのひとつが旧ルート上の稲荷駅(現在のJR奈良線)に残っており、現存するランプ小屋では最古のものです。
何時、楽しく役に立つ記事を拝見させていただいています。
さて、3ペーシ目に「しかし1957(昭和37)年に着工された」との記載がありますが、1957年は、昭和32年ですので、確認をお願いいたします。
今後も記事を楽しみにしています。
では