乗りものニュース 特別企画
【特集】消えていく面影、今も走れる…鉄道の「廃線」どこにある?
道路になった廃線
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銀座のはずれに古びた踏切信号機がポツンと1本佇んでいます。その先でカーブを描く小さな道路、やはり「鉄道」だったようです。
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旧 常北太田~小沢間の一部です。
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北陸本線の敦賀~今庄間は長大トンネルで山地を抜けていますが、かつては高地を迂回する旧線を走っていました。その廃線跡は道路に転用され、今も遺構が残っています。
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県道の方がとっても狭かった区間です。
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通称「カメ」と呼ばれたディーゼルカーが走っていました。
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廃止になった鉄道の敷地を、サイクリングロードとして整備している例が各地にあります。随所に見え隠れする鉄道の名残や、周囲の風景を楽しむことができます。
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JR東海道本線の京都~大津間が現在のルートに切り替わってから、2021年8月1日で100年を迎えます。それ以前は京都市内の山間部を南に大回りするルートでしたが、なぜそんなルートとなっていたのでしょうか。
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茨城空港の近くに、鉄道の廃線跡を活用したバス専用道が存在します。鉄道を廃止してバス専用道に転換しようといった議論が全国で進むなか、その先駆となった事例で、開業から10年を迎えました。これにより地域はどう変わったのでしょうか。
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世界中の人が集まる“眠らない街”新宿歌舞伎町に、鉄道の廃線跡があります。その跡をたどっていくと、鉄道ファン目線でさらに“エモい物件”がありました。
今も「走行できる」廃線
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福井県永平寺町で、廃線跡を整備した遊歩道を活用し、自動運転車両による輸送サービスが行われています。まもなく本運行から1年となるこの路線、乗り心地や利用状況はどのようなものでしょうか。
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廃線となっても、残存する鉄道設備を活かして地域に新たな魅力を創出する試みは日本各地で見られます。そのひとつ岐阜県飛騨市の「レールマウンテンバイクGattan Go!!」は、新感覚アクティビティとしても目が離せません。
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廃線になった線路やトンネルなどの設備を活かし、地域の活性化につなげようという試みが各地で見られます。そのひとつ、「東洋一高い鉄橋」を売りにする宮崎県の「高千穂あまてらす鉄道」、ここはかなりの「アトラクション」ぶりです。
ひっそり残る廃線
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東京・蒲田駅付近の住宅街に、それとわかる形で鉄道廃線の形跡が残されています。車両基地の脇から弧を描いて延びる遊歩道や公園、その正体は何なのでしょうか。
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廃線となった鉄道の線路が道路に転用され、その跡をたどれるケースがあります。東京の街なかにも、そうした「元・線路」の小さな道がいくつも隠れています。
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「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」が残る都心の鉄道廃線跡の道路が、今後、大きく変わる見込みです。踏切前の高架の首都高と、途中でまたぐ首都高、2つの再開発計画に関連します。
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北海道東部にはかつて、総全長116.9kmにおよぶ鉄道「JR標津線」がありました。廃線となり30年超、いまどうなっているのでしょうか。
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新国立競技場はかつての青山練兵場に位置します。同地には通称「青山練兵場停車場」があり、ここを出た陸軍の専用列車が千駄ケ谷駅の信濃町寄りで、現在のJR中央線に乗り入れていました。ただ、痕跡は全く残っていません。
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廃線跡がハイキングコースとして整備され、中にはフォトジェニックな景観を活かしたトレッキングツアーなどが開催される場所があります。鉄道ファンのみならず、SNS映えの名所として国内外から注目されるスポットを紹介します。
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晴海ふ頭と豊洲地区にまたがる運河に、貨物線のアーチ鉄橋の遺構が残っており、人気スポットとなっています。ところが現在、足場が組まれており、往時の姿の一部が見えなくなっています。何が起きているのでしょうか。
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日本各地に残る廃線跡ですが、都内にもはっきりとしたものが存在。その一つが「北王子貨物線」で、踏切や線路が今も現地に残っています。この廃線跡の現状を見てきました。
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JR高麗川駅の近くに、「ポッポ道」と名付けられた遊歩道がありますが、途中には踏切警報機が立っています。それもそのはず、ここは廃線跡なのです。
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少し離れた路線どうしを結ぶ「短絡線」。中にはすでに役割を終えて廃止されたものもたくさんあります。なぜ建設され、そして廃止されたのでしょうか。痕跡を探しつつ、5路線を紹介します。
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武蔵境駅から、かつて北へ延びる線路がありました。旧中島飛行機の武蔵製作所へ向かう引込線です。戦中、主に兵器輸送を担った同線は戦後、野球ファンを輸送したことも。現在は廃線ですが、どのような経緯をたどったのでしょうか。
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横浜港には「汽車道」「山下臨港線プロムナード」という遊歩道があります。どちらも貨物線の跡地を活用。近年は東急東横線の跡地も遊歩道として再整備が進み、将来は内陸の丘から海岸の港まで連続して散策できるようになりそうです。
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神奈川県の臨海工業地帯を走る鶴見線には、かつて貨物輸送に使われていた鉄道施設の遺構がいくつか残されています。中には、線路を持ち上げる巨大な機械まで。今回、現地を訪ねてきました。
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大船駅の南側に、かつてJR東日本の車両工場がありました。現在、引き込み線や工場跡地などに、その痕跡を見ることができます。
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鉄道路線は通常、廃線になると線路を含めた設備一切が撤去され、また残されたとしても目隠しされるなどの措置が講じられます。しかし紀州鉄道には、廃線になった区間に、踏切警報機が残されている場所があります。
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44年前の9月18日、岐阜県のローカル私鉄「北恵那鉄道」が廃止されました。
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かつて天王寺駅と南海本線を結ぶ、短い支線がありました。全線廃止からすでに25年以上が経過していますが、天王寺支線があったことを示す痕跡がいまもわずかに残っています。
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42年前の6月5日、知多半島を走る名鉄知多新線が全通を迎えました。
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気になる「観光用トロッコ化」は?
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今から40年以上前、九州最大の都市・福岡市から東側のベッドタウンを結ぶ「国鉄勝田線」が運行されていました。その沿線は当時から人口が急増していたため、「残っていれば……」との声も聞かれますが、なぜ廃止に至ったのでしょうか。
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群馬の赤城山にかつて、JR線の最高地点よりも高い標高1390mの高地に通じる「鉄道」が存在しました。その廃駅は現存し、関東平野を見下ろす圧巻の風景に“歴史”のエッセンスを添える存在になっています。
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東京都北区王子の住宅街に残る貨物線の廃線は、ファンのあいだで比較的有名ですが、実はそこから分岐するもっと長い貨物線がありました。今や痕跡もほとんどなくなっていますが、一時期は旅客化構想が打ち出されたこともあったそうです。
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北陸新幹線の延伸開業で注目高まる、福井県敦賀市。周辺には、かつて鉄道が走っていた歴史を示す、廃線跡の遺産が残っています。
消えていく面影