陸自61式戦車 1度も戦わぬ一方で果たした役割とは 旧陸軍の「遺産」を繋げ未来へ
旧陸軍の悪い部分まで受け継ぎそうに…?
戦中の日本戦車といえば、太平洋の島々でアメリカ戦車と対峙した「九五式軽戦車」や「九七式中戦車」が、急速な兵器の進化についていけず満足な能力を発揮できなかったことは広く知られます。そのため、評価の芳しくないものが多い日本軍の兵器の中でも、戦車は特に評価が低いといえます。
ただ、戦闘はしていないものの、なんとかアメリカの「M4戦車」と戦える「三式中戦車」は本土決戦用に量産を進めており、また四式、五式戦車の研究も進んでいたことから、設計思想の上では一応、終戦間際には各国の水準になんとか追い付いている要素もありました。
そうした蓄積がようやく発揮され、90mm砲を搭載した鋳造砲塔と鋼板溶接車体を持ちディーゼルエンジンで動く車両として誕生したのが、「61式戦車」だったのです。
ただ九五式軽戦車から続く、「重量が軽く、(当時の)劣悪な日本国内のインフラでも輸送が簡単で、山地や水田が多いという地形的事情でも軽快な動きで歩兵を支援できる戦車」という、旧陸軍の設計思想まで受け継いでしまい、当初は陸上幕僚監部や富士学校などでの議論を経て、重量25tの軽い戦車を作るよう要求がありました。しかし、その設計で90mm砲を搭載するのは不可能で、砲の口径を若干小さくしても、装甲を削らなければならないのは確実でした。
一発必中AI自爆ドローンにやられたらどんな戦車もたまりませんよ