【懐かしの国鉄写真】百花繚乱だった旧型国電の方向板

現在の電車の前面行先表示はフルカラーのLEDが主流になっていますが、国鉄時代の旧型国電では鉄板やプラスチック板を用いた方向板を掲出していました。今回は首都圏の旧型国電を中心にその方向板をご覧いただきます。

この記事の目次

・すでに中央線快速と山手線は新性能化完了により方向板はなく
・関東と関西では流儀が異なる
・方向板から漢字を覚える

【画像枚数】全38枚

すでに中央線快速と山手線は新性能化完了により方向板はなく

 電車の前面の行き先表示、現在はフルカラーのLEDが主流ですが、旧型国電の頃は窓下中央に方向板を掲げていました。首都圏では線区ごとに色やデザインが異なり、材質は鉄板、末期にはプラスチック板もありました。

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総武緩行線の中野駅で方向板を差替えているところ。片手しか使えないし、雨の日などは大変な作業だったと思う(1961年7月、楠居利彦撮影)。

 私が方向板に興味を持って撮影したのは1965(昭和40)年前後なので、すでに中央線と山手線は新性能化が完了し、総武緩行も旧型はだいぶ少なくなっていました。どの線区も今よりは行き先が多く、特に総武緩行は「飯田橋」「市川」「下総中山」「幕張」「稲毛」などがあって、全部は撮りきれないうち、101系に変わってしまいました。

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総武緩行は中央線、青梅線と共通のデザインで、周囲は茶色、菱形部分は黄色、ローマ字部分は白、文字は黒だった。上部の丸囲みは表示されている駅名の略で、この方向板の裏は飯田橋であることがわかる。サボ受けは数枚収容できる厚みがあり、前面には掲出する方向板がバタつかないよう、1枚分の内枠があった(1966年7月、楠居利彦撮影)。
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御茶ノ水行きは、中央線の快速が運転されていない時間帯にしか見られなかった(1966年7月、楠居利彦撮影)。
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市川行きは主にラッシュ時間帯に運転されていた。方向板が単色のように見えるのは、汚れとストロボを発光させたためと思われる(1966年11月、楠居利彦撮影)。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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