【懐かしの国鉄写真】百花繚乱だった旧型国電の方向板
現在の電車の前面行先表示はフルカラーのLEDが主流になっていますが、国鉄時代の旧型国電では鉄板やプラスチック板を用いた方向板を掲出していました。今回は首都圏の旧型国電を中心にその方向板をご覧いただきます。
この記事の目次
・すでに中央線快速と山手線は新性能化完了により方向板はなく
・関東と関西では流儀が異なる
・方向板から漢字を覚える
【画像枚数】全38枚
すでに中央線快速と山手線は新性能化完了により方向板はなく
電車の前面の行き先表示、現在はフルカラーのLEDが主流ですが、旧型国電の頃は窓下中央に方向板を掲げていました。首都圏では線区ごとに色やデザインが異なり、材質は鉄板、末期にはプラスチック板もありました。
私が方向板に興味を持って撮影したのは1965(昭和40)年前後なので、すでに中央線と山手線は新性能化が完了し、総武緩行も旧型はだいぶ少なくなっていました。どの線区も今よりは行き先が多く、特に総武緩行は「飯田橋」「市川」「下総中山」「幕張」「稲毛」などがあって、全部は撮りきれないうち、101系に変わってしまいました。
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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。