【鉄道のある風景今昔】蒲原鉄道閑散区間をゆく 想い出の駅はいま

新潟県の五泉駅から村松駅を経由し、加茂駅までを結んだ蒲原鉄道。五泉~村松間は乗客が多かったものの、村松~加茂間は閑散としていました。その村松~加茂間は何度か訪れましたが、廃線後にも訪れる機会がありました。

この記事の目次

・76年で歴史の彼方に消えた蒲原鉄道
・村松を境に様相は一変
・生え抜き車両もワンマン化
・あの想い出の駅はいま……

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76年で歴史の彼方に消えた蒲原鉄道

 かつて新潟県に存在した私鉄は新潟交通、蒲原鉄道、越後交通と3事業者がありましたが、櫛の歯が抜けるように廃止となり、現在は第三セクター以外の私鉄の路線は消滅してしまいました。その3つの私鉄路線の中でも思い出深いのは蒲原鉄道線の閑散区間でした。

 蒲原鉄道線は信越本線・磐越西線それぞれのルートから外れてしまった村松の有志が中心となって立ち上げた会社の路線 で、1923(大正12)年、県内初の電気鉄道としてまずは磐越西線の五泉から村松まで運行を開始しています。さらに、山を越えて1930(昭和5)年には信越本線の加茂駅まで延伸し、21.9kmの全線が開業しています。

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蒲原鉄道線の村松から加茂までの区間は途中で軽い山越えがあり、美しい風景が展開していた。その分人口希薄地帯であったために鉄道輸送の面では苦戦を強いられた。写真は高松付近を走るモハ12(1981年9月6日、宮下洋一撮影)。

 村松から五泉までの区間の乗客は多かったものの、村松から加茂に向かう17.7kmの区間については沿線人口が希薄な地域を通過する山越え区間であったために開業以来なかなか利用者は伸びませんでした。

 1960年代後半以降のモータリゼーションの進展で利用者減にはさらに拍車がかかってしまいます。蒲原鉄道線も1967(昭和42)年度をピークに利用客数が減少に転じてしまいます。そこで、この閑散区間については合理化のメスを入れることになり、一部停車場の交換設備撤去や、駅員の常駐廃止・無人駅化などの人員・コスト削減を断行します。さらに1978(昭和53)年10月からは県内初のワンマン運転を朝夕ラッシュ時間帯以外の列車で導入するなどの合理化策で路線の維持に努めて来ましたが、遂に1985(昭和60)年に村松から加茂までの区間は廃止されてしまいます。

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同線は村松を境に系統分離されており、加茂までの閑散区間は本数も少なくワンマン運転が行われていた。通常は大半の列車が途中の七谷で列車交換を行っていた(1981年9月6日、宮下洋一撮影)。

 同区間は全路線延長の約8割を占めるにも関わらず、利用者数は全体の約3割程度であったことから止むを得ない措置であったと思われます。

 これにより蒲原鉄道線は最初の開業区間の五泉から村松間4.2kmのみの小さな鉄道に戻ってしまいました。部分廃止で一旦輸送密度・営業係数とも改善したものの、それは長くは続きませんでした。部分廃止から10年経つと当時の6割程度の年間輸送人員に減少、加えて施設・車両の老朽化もあって、残存区間も1999(平成11)年10月4日付で廃止となり、愛すべき小鉄道は歴史の彼方に消え去ってゆきました。

村松を境に様相は一変

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Writer: 宮下洋一(鉄道ライター、模型作家)

1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。

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