【鉄道のある風景今昔】北海道最後の地方鉄道となった三菱大夕張鉄道

北海道最後の地方鉄道として有名な三菱石炭鉱業大夕張鉄道線。貨物輸送だけでなく最後まで旅客営業も行なっていて、気動車を導入することなく客車列車が運転されていました。

この記事の目次

・経営主体が目まぐるしく変わった道内私鉄

・廃止5年前、客車列車に乗車

・廃止後に南大夕張から先を訪問

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経営主体が目まぐるしく変わった道内私鉄

 かつて北海道に多く存在した運炭目的の地方鉄道はエネルギー転換や海外の安い石炭に押される形で炭鉱の閉山が相次ぎ、それに伴って運炭目的の地方鉄道も廃止に追い込まれていきました。そのような中、貨物輸送だけでなく最後まで旅客営業も行なっていた鉄道が三菱石炭鉱業大夕張鉄道線でした。

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南大夕張駅の駅舎とDL-55 No.3。駅舎は線路から階段を上った小高い所に位置しており、北海道らしい特徴的な姿のものであった(1982年3月6日、宮下洋一撮影)。

 同鉄道線は1911(明治44)年の開業と歴史は古く、清水沢から大夕張炭山間17.2kmの路線でした。戦後は美唄鉄道の吸収合併で三菱鉱業大夕張鉄道となり、その後も炭鉱を取り巻く動きに翻弄されるように経営主体が目まぐるしく変わり、三菱大夕張炭礦、三菱石炭鉱業と変更されて、最終的には1987(昭和62)年7月に命脈が尽きました。

 廃止になる14年前の1973(昭和48)年10月には三菱大夕張炭鉱の閉山に伴い、南大夕張から大夕張炭山までの区間が廃止となり、7.6kmの営業となってしまいます。この時期は既に他の運炭鉄道の大半が廃止に追い込まれており、同鉄道も既に先が見えていたのかもしれません。

 同鉄道で特筆すべきは道内の他私鉄が競って気動車を導入して客貨分離をした中、最期まで気動車は導入せず機関車牽引の客車列車、時には混合列車で全て運転されていたことです。他の私鉄ではまだ羽振りの良い時代に気動車を新製するなどの投資を行ったものの、それから10年もすると廃止に追い込まれているケースが多く、その点で同鉄道は堅実な経営をしていたとも言えそうです。

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蒸気機関車が現役であった頃の三菱大夕張鉄道の混合列車。1960年代末期にはまだ7往復の旅客列車が存在していた。 清水沢付近(1972年7月、網谷忠雄所蔵)。

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Writer:

1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。

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