最強蒸気機関車のはずだったデゴイチ弟の不遇 「戦時量産型」D52 戦後はヒーローへ“転生”

蒸気機関車の代名詞「デゴイチ(D51)」の後継として、国鉄最強の蒸気機関車を目指して計画された「D52」。しかし時代は太平洋戦争へ突入、この機関車は結局、「戦時量産型」として本来とは異なる仕様で誕生しました。その不運な誕生から戦後復興期におけるひそかな復活劇を振り返ってみましょう。

「戦時量産型」に設計変更

 しかし、最強をコンセプトとしたD52形は設計に時間を要し、その間、日本の鉄道をめぐる状況は大きく変わっていきます。

 D51形が就役した翌年に始まった日中戦争によって、大陸への軍需物資輸送のために多くの船が徴傭(ちょうよう:軍にチャーターされて戦地にかり出されること)されます。さらに太平洋戦争がはじまると、内海航路の船も多数が徴傭されて船舶が不足するようになったのです。そして、その分の貨物を鉄道で運ぶ必要が生じました。

 1942(昭和17)年10月には「戦時陸運ノ非常態勢確立ニ関スル件」が閣議決定され、貨物の「陸運転換」がこれまで以上に重視されるようになります。強力な貨物用蒸気機関車の配備は戦争遂行のために必要とされましたが、それは戦時にふさわしく、材料を節約し、かつ製造が容易であることも求められたのです。これがいわゆる「戦時量産型」と称されるものです。

 国鉄は1943(昭和18)年5月に「戦時設計要綱」「施行細則」を決定します。ちょうどこの頃にD52形の設計は大詰めを迎えようとしていました。この結果D52形は、開発当初とは異なる仕様の戦時量産型機関車として誕生しました。

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D52の側面図。除煙板や炭水車の上部が木製である戦時量型を描いている(イラスト:樋口隆晴)。

 1943(昭和18)年12月21日に初号機(D52 21)が竣工したのち、翌1944(昭和19)年には135両が製造されましたが、当初の設計と異なり、戦時量産のために工程の簡略化や使用資材の節約などがなされていました。外見に現れた特徴としては、デフレクター(除煙板)やテンダー(炭水車)上部の石炭庫側板の木製化、蒸気溜カバーの角型化などが挙げられます。さらに装備を予定されていたメカニカル・ストーカー(自動給炭装置)の廃止や、ボイラーの簡略化も行われていました。

 このため、戦時の粗製乱造や検査の不足、石炭の質の低下、さらにベテラン機関士が次々徴兵されたことなどと相まって、当初期待された一般貨物列車で1000トン、石炭貨物列車で1200トンというD52形の特徴といえる牽引力を出せなくなってしまったのです。

 そのうえ、大阪鉄道局に所属するD52形33両のうち12両が、1944(昭和19)年12月前半に立て続けに故障を起こし、また敗戦直前から直後にかけてはボイラーの爆発事故を起こすなどしたため、最強機関車として期待されたD52形は、一転して低性能で信頼性にいちじるしく欠ける蒸気機関車になり下がっていきました。

【写真】各地に現存するD52

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