日本の軍用SL いまも千葉・津田沼に 旧日本陸軍「K2形蒸気機関車」 新京成とも深い縁
千葉県のJR津田沼駅周辺には、太平洋戦争終戦まで旧日本陸軍の鉄道連隊が所在しました。その面影はいまやほとんど見られませんが、駅の近くにある公園に展示される蒸気機関車が、実は往時の姿をいまに留めるものでした。
津田沼の蒸気機関車 実は海外使用を想定して作られた軍用機関車
旧日本陸軍が使用した蒸気機関車というと、靖国神社遊就館に残る、当時タイとビルマを結んでいた泰緬(たいめん)鉄道にて使用された「C56型31号機関車」が、比較的知られているかもしれません。それとは別の軍用蒸気機関車が、千葉県習志野市に残されています。
JR総武本線 津田沼駅と新京成電鉄新京成線 新津田沼駅にほど近い、津田沼一丁目公園、ここに展示されている小さな蒸気機関車「K2形蒸気機関車134号」が、旧日本陸軍鉄道連隊の、いまに残る面影のひとつです。
この機関車は、おもにソ連と満州(中国東北部)の国境地帯で用いることを想定し、旧日本陸軍の鉄道連隊向けに川崎車輌(現・川崎重工業車両カンパニー)が設計、製造した、水と石炭を機関車本体に積載する「タンク機関車」で、計47両が製造されました。
しかし太平洋戦争が開戦してから生産を開始したため、初期製作の10両以外は満州に送られず、国内で使用されました。津田沼一丁目公園のK2形134号は、同じ津田沼に連隊本部を置いた陸軍鉄道第2連隊が教育訓練で使用していました。
終戦後、旧陸海軍が使用していた各種機関車や貨車は民間に払い下げられるなどし、各地の私鉄や炭鉱で各種輸送に用いられました。K2形134号は西武鉄道で使用されます。運用終了後は、同社の遊園地「ユネスコ村」で展示され、1990(平成2)年の同村閉園後に鉄道第2連隊本部のあった習志野市へ寄贈されて、現在の津田沼一丁目公園にて展示されるようになりました。
近くを走る新京成電鉄新京成線は、元々、旧日本陸軍鉄道連隊の演習線だったものを終戦後に旅客鉄道へ転用したものです。その意味で、鉄道連隊ゆかりの地である習志野市津田沼に里帰りしたといえなくもないでしょう。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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