「あ、ついに認めた…」 鉄道界&日本銀行のタブーだった車両「マニ30」とは?
かつて、現金は鉄道で運ばれていました。その現金輸送専用車は長らく日本銀行や鉄道界のなかでタブーとされていましたが、いま、「おうちコンテンツ」として公開されています。
日銀「現金輸送車の歴史」ツイートが話題
「あっ、ついに存在認めた…」
日本銀行が2021年11月17日に公式アカウントで発信したツイートに、このような反応が寄せられています。
「現金輸送車の歴史」と題したこのツイートでは、日本銀行の支店などへ向け現金を運んだ専用車両「マニ30」、通称「マニ車」が紹介されています。この車両は2004(平成16)年に廃車されていますが、それまで、その存在は鉄道界の“タブー”とされていました。
マニ車は機関車牽引の列車に連結され、車両基地などでも見ることはできましたが、撮影しようとすると、警備で同乗する警官に制止されたという話も。そのような存在だったため、上記のようなユーザーの反応が見られたわけです。
今回のツイートは、そのマニ車の模型の3D・VR映像を含めた日銀のウェブコンテンツ「おうちで、にちぎん」の紹介です。マニ車の模型は日銀本店本館の地下金庫内で紹介パネルとともに展示されており、リアルで見学することもできます。
その日銀本店本館の地下金庫には、トロッコのレールを剥がした跡も見られます。1896(明治29)年築の本店本館、その地下金庫は関東大震災での被災がなく、創建当初の姿がほぼそのまま残っている空間。かつては貨物用エレベーターで地下におろした現金をトロッコに載せ、金庫内の回廊を巡るレールで搬送していたといいます。
ちなみにマニ車の模型は、2020年に初公開された新しい展示だそう。日本銀行ホームページでは、「マニ車の存在は、使用期間中は秘中の秘とされ、名前や移動スケジュールが運行ダイヤに掲載されることはなかった。車体や窓は全て防弾構造になっている」と紹介しています。マニ車の登場以前、現金は通常の貨車で運ばれ、警備のため同乗する職員は環境の悪い貨車内で長時間を過ごしていたと言われています。戦後、輸送量の増加にともない1949(昭和24)年にマニ車が製造され、環境の改善と防犯性の強化につながったということです。
なお実際のマニ車は、北海道の小樽市総合博物館に1両が保存されています。
【了】
先日、鉄道伝説でやってたな。
よく山陽本線走ってたのを記憶している。
窓が無く、郵便列車でもない、一体なんの車両なんだろうと不思議な列車でした。
隅田川発金沢行きの2071列車に、よく連結されていたな。
コンテナ発送をやっていたので、
「今日はマニありね!」
と、朝の打ち合わせでよく言われた。
冬は上越線が雪で登れないから、「割減」といって、列車の総重量を減らす事がしばしばあって、「今日は2割減ね、でもマニあるから実質3割減で宜しく」、なんて打ち合わせもやったなぁ。
EF64重連で、ヒーヒー登ってたんだろうね、お疲れさまでした。