東急が東京と横浜を繋いだ日 当時は「目黒~神奈川」だった -1926.2.14

96年前の1926年2月14日、現在の東急東横線の多摩川~横浜間にあたる区間が開通しました。

都内から横浜へ羽ばたいた五島慶太の夢

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東急東横線を走っていた1000系電車(2010年12月、大藤碩哉撮影)。

 1926(大正15)年の2月14日。東京横浜電鉄が丸子多摩川~神奈川間を開業。現在の東急目黒線に直通し、目黒~神奈川間で列車が走り始めました。国鉄のライバルとなる形で、東京と横浜を結ぶ路線が誕生したのです。

 丸子多摩川は現在の多摩川駅。神奈川駅は戦前に営業されていた駅で、反町~横浜間で、東急とJRが並走し始めるあたりに存在していました。

 当時、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子多摩川~蒲田間で目蒲線を開業していました。渋沢栄一が提唱した「田園都市」構想を元に田園調布周辺に宅地開発が行われ、その住民の都心アクセスのために作られた路線です。

 その一方で、武蔵電気鉄道という事業者が渋谷から横浜へ至る鉄道免許を持っていました。目黒蒲田電鉄を率いていた五島慶太はこの武蔵電気鉄道の経営権を握り、社名を東京横浜電鉄として、新たな京浜間の鉄道建設を進めたのです。新路線は丸子多摩川駅からすぐ多摩川を渡河する形で分岐したため、今でも多摩川駅南側の線形は急カーブとなっています。

 そして1926年2月14日に開業した東京横浜電鉄は、目黒蒲田電鉄の目蒲線に直通し、目黒から神奈川までの列車が走り始めました。

 目黒がターミナルとなっていた期間は短く、1年半後の1927年8月に、渋谷~田園調布間が開業。渋谷~神奈川間が「東横線」となり、渋谷が横浜への拠点となっていくのです。

【了】

【懐かし画像】戦前の東急東横線の風景

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