「あってもなくても…」東急目蒲線を覚えているか 直通とは無縁な都会のローカル線
東急電鉄三大幹線の1つ「目黒線」。そのルーツは「目蒲線」でした。東急電鉄の創業路線でありながら、いつまでも古い“お下がり”電車が走り、歌謡曲で「どうでもいい」と歌われた不遇な時代もありました。そんな目蒲線を懐古します。
目黒~蒲田間約13kmのコミューター 古い電車がコトコト
2022年度下期の開業を目指して「東急新横浜線」の建設が進んでいます。東横線・目黒線の日吉駅(横浜市港北区)から分岐し、新綱島駅(仮称・駅名公募中)を経て、新横浜駅(仮称)に至ります。さらに相模鉄道が開業する「相鉄新横浜線」に直通し、海老名駅(神奈川県海老名市)、湘南台駅(同・藤沢市)へ相互直通運転する予定です。東急電鉄にとって目黒線は、東横線や田園都市線と合わせて東急三大幹線の1つに位置づけられています。
しかし、2000(平成12)年8月5日に目黒線が誕生するまで、現在の目黒線の目黒~多摩川間は「目蒲線」と呼ばれていました。目黒~蒲田間を結ぶ路線の一部です。筆者(杉山淳一:鉄道ライター)が子どもの頃は、3両編成の緑色の電車、初代3000系が「うぉぉぉん」と吊り掛け式モーターの音を響かせて走っていました。目蒲線は現在の目黒線からは想像しにくいほどのローカル線。同じく3000系で運行されていた池上線と姉妹路線のようでした。
東急電鉄は銀色のステンレスカーをいち早く導入していました。しかし、軌道線の世田谷線と、鉄道線の目蒲線、池上線は最新型電車がなかなか導入されず、いつまで経っても緑色の電車が走っていました。目蒲線にようやくステンレスカーが導入された時も、東横線や田園都市線の“お下がり”の7000系などでした。車体長18m級規格の路線だから、8000系や8500系など最新型の20m級電車は走れません。
軌道線の世田谷線は都内で貴重な路面電車規格ということもあって、車両が古くても風情があり、ホームドラマにも登場しました。しかし、目蒲線と池上線は「ただの古い電車」ばかり。私も含めて沿線の人々は、なんでこんなに冷遇されているんだろう、と思ったものです。
苦労して作ったところであってもなくても同じようなものの蒲蒲線。
多摩川のすぐ近くを走る矢口渡-蒲田間で地下化ですか?
ほとんど狂気の沙汰ですね、ちょっとした大雨でもろくも水没する情景が目に浮かびます。
筆者はWikipediaによれば私と1学年違いの池上線沿線生まれ、私は幼少時から現多摩川線沿線在住で祖父母が池上線沿線、同じ様に小学生から鉄道ファンということで、ほぼ完全に同時代の目蒲・池上線を体験していると思われます。写真も大変懐かしく拝見しました。
新空港線対応で現在の多摩川線から目蒲線の面影が失われるかも、と書かれていますが、東横線から空港方面の直通電車はおそらく途中駅を通過となる(どの駅も地上ではホームの延伸余地は無い 20m 8−10両なんて絶対ムリ まさかの目黒線同等の地下化!?)でしょうから、私はむしろ一層のローカル感を増して行くだろうと考えています。線路の砂利から草ぼうぼうなんて、23区内に他にあります?
かつて大岡山にある大学に世話になっており... この緑の車両、3000系というのですか、記憶にあります。
すごくなつかしいです。たぶん1年のときのみこれだったような(入学年特定か)。
右も左もわからぬ田舎者で、東京へ出てきて山手線(まだステンレス色じゃなかったはず)に何とか乗り、目黒に着いて乗り換えると、このちょっと古めの車両に「あら、大岡山というのは割と田舎なのかな?」とか思った記憶が。その後徐々に東京の地理がわかっていったのですが。
大学の友達も目蒲線やその他東急線沿線に住んでたし、電車の記憶は当時の記憶でもあり。