自慢の重装甲だったはず!? 旧海軍期待の新鋭艦 空母「大鳳」竣工-1944.3.7
たった1発の魚雷が致命傷に…
3か月後の1944(昭和19)年6月中旬、中部太平洋の要衝、サイパン島およびグアム島を巡って日米が激突します(マリアナ沖海戦)。襲来したアメリカ軍に反撃すべく、旧日本海軍は空母機動部隊を出撃させますが、その旗艦として「大鳳」は用いられました。しかし、この初陣が最期となります。
19日朝、サイパン島西部にアメリカ軍の空母艦隊を発見した「大鳳」は攻撃隊を発進させます。ただ、周辺海域はアメリカ軍潜水艦の索敵圏内であり、同じころ「大鳳」も潜水艦の追尾を受けていました。
攻撃隊を発進させ終わったころ、うち1機が編隊を組まず海面に突入するという場面がありました。直後、「大鳳」の右舷前部に魚雷1本が命中。その機は自らが犠牲となりながら、「大鳳」に迫る魚雷を阻止しようとしたのでした。
被雷した「重装甲空母」でしたが、浸水を抑え、何事もなかったかのように航行を続けます。ただし衝撃で前部エレベーターが故障したため、続く攻撃隊の発進と収容に間に合うよう、大急ぎでエレベーター孔がふさがれました。
14時半ごろ、帰還した第2次攻撃隊が着艦しようとした時、「大鳳」は突如大爆発を起こします。実は被雷時に艦載機用燃料タンクが破損し、ガソリンが漏れ続けていたのです。気化したガソリンは艦内に充満していきますが、重装甲のため通気性は悪く、加えて応急措置でエレベーターもふさがれていました。一説では、艦載機が着艦した際に火花を生じ、それが気化したガソリンに引火したとされています。
大火災に見舞われた「大鳳」は消火もままならず、ついに航行不能となります。連続する爆発により、飛行甲板上の艦載機や乗組員らが吹き飛ばされました。およそ2時間後、「大鳳」は沈没。防御を強化したはずの大型空母は、ダメージコントロールの不手際もあり、むしろそれが仇となってしまったといえるかもしれません。
【了】
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