創設60年目の大改編 第1師団に新編の「偵察戦闘大隊」とは 首都の護りどう変わる
2つの部隊を廃止し1つの部隊を新編
一方、第1偵察隊は、1951(昭和26)年に警察予備隊第1管区隊偵察中隊として発足したのが始まりです。1962(昭和37)年に第1管区隊は第1師団へと改編しますが、それに合わせて偵察中隊は第1偵察隊へと改称します。なお、当時は第1戦車大隊と同じ群馬県の相馬原駐屯地に所在していましたが、このときの改編で練馬駐屯地へと移駐しています。
第1偵察隊は、当初こそ三菱ジープ(1/4tトラック、のちに73式小型トラック)や偵察オートバイ、レーダー装置などを装備していましたが、のちに82式指揮通信車や87式偵察警戒車、軽装甲機動車などを用いるようになり、一定の装甲車両の運用も行うようになっています。
いうなれば第1戦車大隊は、第1師団の決戦戦力としての役割を持ち、第1偵察隊は師団直轄の情報収集部隊として敵情の解明などを担っていました。
この両者を廃止して新たに誕生した第1偵察戦闘大隊。名称に「偵察」と「戦闘」の両方の単語が入っていることから、普通に考えたら「戦車大隊」と「偵察隊」が合体してひとつ部隊になったと考えがちです。しかし、初代の第1偵察戦闘大隊長に就任した徳永2佐が訓示の中で述べたのは、「偵察戦闘大隊はあくまでも新しい部隊であり、昔の騎兵に戻った」ということでした。
この徳永2佐のコメントが意味するところは、どこにあるのでしょうか。
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