巡洋艦「北上」竣工-1921.4.15 のちに旧海軍の決戦兵器搭載へ 本気出すことなく退役
真価を発揮する機会は来ず…
しかし当時、すでに海戦の在り方は航空機を主体としたものに移行しつつあり、「北上」には想定したような、魚雷を敵艦隊へ向け一斉発射する機会は訪れません。そして勝敗の転換点ともされるミッドウェー海戦(1942年6月)で、日本は主力の航空母艦を4隻失い大敗を喫すと、以降の敗色は濃くなっていきました。こうして、「北上」が前線に出ることはますますなくなっていきます。
同1942(昭和17)年9月、ついに“切り札的装備”だった4連装魚雷発射管4基を撤去し、輸送艦に再改造されます。ただ、これにより身軽になった「北上」は軽巡洋艦として生まれ持った高速性を活かし、輸送のほか船団護衛など、後方支援任務に重用されました。
1944(昭和19)年1月、シンガポールへ向け航行していた「北上」は、マレー半島とスマトラ島のあいだに位置するマラッカ海峡において、イギリス海軍の潜水艦による雷撃を受け航行不能に陥ります。応急処置が施され、しばらく南方に待機するも、本格的な修理を受けるために味方の駆逐艦に曳航され、8月、佐世保に帰還します。
この時、再び改装が行われます。それは特攻兵器「回天」の搭載母艦としてでした。「回天」とは九三式魚雷を改造し、人間が操縦できるようにしたものです。
「北上」は魚雷発射管や主砲をすべて撤去し、武装を対空用の高角砲(高射砲)のみとすることで、計8基の「回天」を搭載可能な姿に様変わりしました。なおこの時、後甲板は「回天」を海中へ射出できるようスロープ状に変更されます。以降は訓練などに従事しました。
しかし終戦間際の1945(昭和20)年7月末、広島県の呉軍港にいた「北上」は、アメリカ軍の空襲にあい大破。結局、「回天」搭載艦としては実戦に参加しないまま終戦を迎えます。
老齢艦でありながら、太平洋戦争を生き延びた「北上」は戦後、艦船を修理する工作艦として使われました。その後1947(昭和22)年3月に解体されています。
【了】
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