「三菱スペース・ジェット」実用化さらに遠のく… どこでYS-11やホンダ・ジェットと差がついた?
YS-11がぶつかった“カベ”
YS-11の販売においては、受注獲得のため支払条件を購入者側に有利にしてしまったと記録されています。そのためバック・オーダーも潜在的に抱えながら、製造元である日本航空機製造が解散してしまうこととなりました。
また、同機の実用化でもう一つ最大の壁となったのが、アメリカにおけるFAA(アメリカ連邦航空局)の型式証明(航空機のモデルごとに一定の安全基準を満たしているかどうか国がチェックする制度)の取得。旅客機の量産化には不可欠なプロセスですが、かなり苦労したことが記録されています。
さて、時を現代に戻し、三菱航空機が開発に難儀する「スペース・ジェット(旧MRJ)」のケースを見ていきます。
こちらは、ターボ・プロップ機ではなく、100席以下の比較的小さなジェット機です。おもに地方路線間を運航する「リージョナル・ジェット」と呼ばれるカテゴリで、ボーイングやエアバスといった業界最大手の航空機メーカーではなく、ブラジルのエンブラエルやカナダのボンバルディア(旧・カナディア)といったメーカーが実用化、そして商業的に成功を収めました。その後、おもに後発系のメーカーを中心に競争が激化している分野です。
スペース・ジェットは当初、高度な技術を要する国内の航空機産業を育成を企図した「環境適応型高性能小型航空機プロジェクト」として2003年から始まりました。ただ、国主導で始まったこのプロジェクトも、やがて三菱重工単独で推進することになります。同社はボーイングやエンブラエルとつながりがあったことも一因でしょうか。
ただ、スペース・ジェットはここで、YS-11開発の際とほとんど同じ壁にぶつかります。
大田稔、菊原静男、木村秀政
土井武夫、堀越二郎の5人では。手許に在る前間孝則著「YS11」より。