日本製のベストセラー民間機3選 ホンダジェットの前にも三菱 富士重工(スバル)
マーケティングの難しさを体現した小型ジェット機
三菱重工がMU-2に続いて自主開発したのが、「MU-300」ビジネスジェット機です。MU-2のワンランク上の自家用機として計画されましたが、企画段階の1973(昭和48)年に第1次オイルショックを経験したことで、乗り心地や操縦安定性以外に、燃費も重要な要素と位置付けられました。
MU-300は1976(昭和51)年に開発着手、1978(昭和53)年8月29日に初飛行します。しかし1979(昭和54)年、アメリカ製の大型旅客機が相次いで事故を起こしたことで、FAA(アメリカ連邦航空局)による新型機の耐空審査が厳格化されると、折悪くMU-300が基準改正後の最初の対象機になってしまいます。
基準改正後、最初の審査ということで、FAAも基準の軸が定まっておらず、認可が下りるまでに長い時間がかかってしまいました。そのため、審査は1981(昭和56)年に通ったものの、事前注文の大半がキャンセルになり、さらに様々な事情から販売開始後も受注が伸び悩みました。
赤字が続いたMU-300を、三菱重工はなんとか売ろうと様々に手を尽くしますが、最終的にアメリカの航空機メーカーであるビーチクラフトへ譲渡します。MU-300の生産は101機で終了しました。
そののち、ビーチクラフト製の「ビーチジェット400」として販売が継続されていた1990(平成2)年、アメリカ空軍がT-1A「ジェイホーク」練習機として採用すると、1990年代半ばから売れ行きを伸ばすようになりました。
三菱重工からの移譲後、ビーチジェット400は850機以上のセールスを記録し、さらにアメリカ空軍にT-1A練習機として180機引き渡されています。このほかにも航空自衛隊がT-400練習機として13機導入しており、原型のMU-300と合わせると、1100機以上の生産数になりました。
なおビーチクラフトが企業再編によってホーカー・ビーチクラフトになったことで、その後ビーチジェット400も「ホーカー400」に名称を改めています。
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