売れなかったのはブランドのせい? “移籍”で開花の航空機3選 A220や空軍の顔
三菱離れて開花した移籍組
日本人としてはやや複雑な気持ちになりますが、三菱重工業と同社のアメリカ法人三菱アメリカ・インダストリーが1970年代に開発したビジネスジェット「MU-300」も、メーカー移籍によって開花した航空機の一つです。
MU-300は同クラスのビジネスジェットに比べて燃費性能が良好で、巡航速度も速く、キャビン容積も大きい優れたビジネスジェットでした。しかし型式証明の取得に難航し、顧客への引き渡しが遅れたことからキャンセルが続出しました。この点は、後に三菱重工業の子会社である三菱航空機が開発したスペースジェットと共通しています。
さらにアメリカが不況に見舞われ、ビジネスジェット需要が低迷したこともあって、三菱重工業はMU-300の事業継続を断念。1988年に、現在はテキストロン・グループの一員となっているビーチエアクラフトへMU-300の事業を完全に売却しました。
ビーチエアクラフトが買収したことで、名称をビーチジェット400A(1994年にホーカー400に再改称)へと改めたMU-300は、1990年にアメリカ空軍の練習機T-1A「ジェイホーク」として採用されたほか、アメリカの景気回復に伴い民間機型も順調に受注を獲得。2009年の生産終了までにMU-300時代(92機)の10倍近い859機が製造され、航空自衛隊にもT-400練習機として13機を導入しています。
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プロスポーツの世界では、最初に入団したチームではパッとしなかったものの、移籍によって開花した選手が少なからず存在します。今回紹介した3つの航空機も、元々の能力が高く、それを引き出してくれるチーム(メーカー)への移籍で開花したという点が共通しているでしょう。
【了】
Writer: 竹内 修(軍事ジャーナリスト)
軍事ジャーナリスト。海外の防衛装備展示会やメーカーなどへの取材に基づいた記事を、軍事専門誌のほか一般誌でも執筆。著書は「最先端未来兵器完全ファイル」、「軍用ドローン年鑑」、「全161か国 これが世界の陸軍力だ!」など。
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