【鉄道のある風景今昔】数多くの不思議に包まれた越後交通長岡線

かつて新潟県長岡市を縦断していた越後交通長岡線。同線は旅客輸送も行っていましたが、モータリゼーションの進展で路線の部分廃止とともに貨物輸送専門となり、その後に全線廃止となりました。この越後交通長岡線、いろいろと不思議があります。

この記事の目次

・スイッチバックに平面クロス……
・旅客営業廃止から18年が経過して訪問
・再び与板駅周辺へ

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スイッチバックに平面クロス……

 越後交通長岡線はいろいろな面でユニークな路線でした。今回はそのちょっと不思議な点を中心にご紹介したいと思います。

 最初は起点駅の不思議です。同線の起点は西長岡駅で、そこから来迎寺駅へ向かる路線と寺泊駅に向かう路線の2路線がありましたが、肝心の起点が長岡の駅前からは川を挟んだ対岸でアクセスが良くありませんでした。これは当初、信濃川を渡り国鉄長岡駅へ接続する計画であったものの、長大な鉄橋の建設費を確保できずに挫折していることが理由です。さらに路線が起点駅の西長岡駅からいきなりスイッチバックするような線形となっていることです。

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旅客営業盛業の頃の西長岡駅の様子。写真左手に大きな木造駅舎が建っていた(西長岡/1969年10月、網谷忠雄所蔵)。

 次は沿線の大半が人家の少ない田園地帯をひたすら走る線形です。これは建設に際して鉄道の開通で疫病や犯罪がもたらされるというあらぬ迷信や、蒸気機関車の煤煙・騒音等を危惧して敷設反対の動きが沿線住民に根強くあったためと言われています。

 沿線で一番人口の多いの街・与板ではさすがに市街地を走るものの、街の裏側を遠慮がちに走るような線形で、街の中心部が既に住宅地であったこともあって、ここでも与板駅の用地買収は難航し、結局中心部から離れた街外れに設置されることとなっています。

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晩年の主力電車として活躍していた電車は元小田急電鉄のHB車であった。一部車両は県内の新潟交通に譲渡されたが、使われることなく解体されてしまった(左:西長岡/1969年10月、網谷忠雄所蔵 右:越後大野/1981年9月5日、宮下洋一撮影)。

 続いては大河津駅構内です。ここでは国鉄越後線と構内で平面クロスをしていました。非電化の国鉄線と電化の私鉄線の平面クロスというのも全国的に珍しいものでした。寺泊は今では海鮮料理などが提供されるお店が並び、海水浴場としても栄えていますが、同線はその海岸近くまで到達していました。

 このように街から離れた線形や国鉄長岡駅への乗り入れが無いこともあり、業績は厳しいものがあったと言います。経営再建のために1950(昭和25)年に衆議院議員であった田中角栄氏が社長に就任し、翌1951(昭和26)年に全線電化が行われ業績も回復。夏になると寺泊方面に行く海水浴客で賑わったそうです。

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Writer: 宮下洋一(鉄道ライター、模型作家)

1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。

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