【鉄道のある風景今昔】まるでタイムカプセルのようだった鹿児島交通加世田駅

1984年3月に全線廃止となった鹿児島交通の鉄道線である枕崎線。かつては本州最南端の私鉄でもあり、伊集院駅から鹿児島本線の西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)まで1日3往復も乗り入れを行っていました。廃止の1年前に訪れた加世田駅、その光景は異様なものでした。

この記事の目次

・一期一会に終わった鹿児島交通枕崎線
・趣味人的観点からは魅力的だったが
・全線廃止、そして再訪

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一期一会に終わった鹿児島交通枕崎線

 鹿児島交通は本州最南端の私鉄で、赤を基調とした独特のカラーリングの車両がゆっくりと走っていました。特に国鉄キハ07タイプの卵型の気動車が活躍していることから早く訪問したい鉄道でしたが、訪問は廃止1年前の学生時代の1回のみ。特急料金を惜しんで周遊券で行く鹿児島はさすがに遠く、一期一会に終わった同鉄道の中でも印象に残った加世田駅の様子に絞って紹介をしたいと思います。

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鹿児島交通の要衝駅・加世田駅の全景を望む。構内右奥に検修設備があるが、左右の留置線には用途廃止になった車両が朽ち果てるに任せており、タイムスリップした世界が展開していた(加世田/1983年3月6日、宮下洋一撮影)。

 鹿児島交通は鹿児島本線の伊集院駅から加世田駅を経て枕崎駅までの枕崎線(地元では南薩線と呼ばれていた)と支線の知覧線と万世線で構成されていました。支線は早期に廃止になりましたが、枕崎線は晩年まで西鹿児島駅まで直通列車が運転されるなど、何とか路線は維持されていました。

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加世田駅の待合室から構内方向を見る。時刻表を見ると本数はかなり少なく、朝の列車が落ち着くと枕崎方面には夕方までは2往復の列車しか設定されていなかった。上り列車の最終は18時台であるのがわかる(加世田/1983年3月6日、宮下洋一撮影)。

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Writer: 宮下洋一(鉄道ライター、模型作家)

1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。

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