【鉄道のある風景今昔】気動車だけでなく「ブルートレイン」も走った同和鉱業片上鉄道

かつて岡山県に同和鉱業片上鉄道という地方鉄道が存在していました。貨物列車の運行を主としながらも旅客輸送も行われ、気動車のみならず「ブルートレイン」とも呼ばれた客車列車も運行していました。今回は同鉄道の今昔をご覧いただきます。

この記事の目次

・鉱石輸送が中心ながらも旅客輸送を実施
・観光鉄道として再生の話が持ち上がったものの、あえなく廃止
・廃止となった片上鉄道のいま

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鉱石輸送が中心ながらも旅客輸送を実施

 同和鉱業片上鉄道は、従来は鉱山から片上港まで水運に頼っていた柵原鉱山産出の硫化鉄鉱の輸送を鉄道輸送に切り替える目的で建設された鉄道です。

 開業は港側からで、1923(大正12)年に片上から和気間が開業、1931(昭和6)年には柵原までの全線が開通しました。輸送目的は鉱石輸送なので貨物輸送中心の鉄道ながらも旅客営業も行われてきました。

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清水駅に進入するキハ702。同鉄道には機械式気動車が改造を重ねながらも最後まで現役で運転されていたのが特徴であった。卵型スタイルの国鉄キハ07形の姿を留めたキハ702も同系列最後の現役車両であった(1991年3月24日、宮下洋一撮影)。

 鉱石輸送が主体であったことから、長編成の貨物列車運転対応のために交換駅の有効長も長めで、駅舎もしっかりしたものが建設されており、地方鉄道としては線路も含めて全体的に開業した当時としては高規格の路線でありました。その分、従の立場にある旅客用の車両は主に国鉄からの機械式気動車や貨物用機関車を使用した客車列車など主に中古車両で賄われていました。また、兄弟関係にあった同社の小坂鉄道とは一部車両の融通が晩年までありました。

 今回はそのような片上鉄道線の沿線風景を主に個性的な車両輌もご紹介したいと思います。

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第二吉井川橋梁を渡る朝の輸送力列車は気動車ではなく客車列車であった。同列車は片上鉄道の名物列車で、客車車体色から「ブルートレイン」と呼ばれていた。けん引機はDD13-552(周匝~美作飯岡/1990年6月17日、宮下洋一撮影)。

観光鉄道として再生の話が持ち上がったものの、あえなく廃止

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Writer: 宮下洋一(鉄道ライター、模型作家)

1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。

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