三式戦闘機「飛燕」は「“ぴえん”な機体」だったのか 実は革新的だった設計 その紆余曲折
三式戦闘機「飛燕」は大きな活躍をできずに終わってしまったため、近頃流行している「ぴえん」という言葉とかけごく一部で「“ぴ”えん」と称されることもあります。実際どうだったのでしょうか。
ほっそり尖った機首が特徴
ここ数年、SNS上を中心に、ちょっとした悲しみを示す「ぴえん」という言葉を目にする機会が増えました。この言葉によく似た読みの戦闘機があります。第二次世界大戦下である1943年に正式採用された、日本陸軍の三式戦闘機「飛燕(ひえん)」です。
同機は大戦下で大きな活躍をできずに終わってしまったほか、故障も多かったこともあって、ごく一部の航空ファンのあいだでは、あまり輝かしくない運命を辿ったことにちなみ、「“ぴ”えん」と称されることも。本当にこの機体が“ぴえん”な飛行機だったのでしょうか。
「飛燕」こと、日本陸軍三式戦闘機は川崎航空機により開発・製造されました。川崎航空機は、一式戦闘機「隼」を開発した中島飛行機、「零戦」つまり零式艦上戦闘機を開発した三菱重工業と並ぶ戦前日本の三大航空機メーカーです。
第二次世界大戦中、旧日本陸軍では、日本国民にも親しまれることも狙って軍用機に愛称を付けていました。例えば、一式戦闘機には「隼」、四式重爆撃機には「飛竜」など。これらには、空を飛ぶ生物の名が与えられていました。
そして三式戦闘機の愛称である「飛燕」は、飛ぶ燕(つばめ)を指します。中国の故事では「飛燕」は、漢の時代の成帝の皇后の名前だそうで、舞の名手として有名な美人で、ツバメが飛ぶようなあでやかな舞姿だったそう。また、そのプロポーションも有名だったそうです。
三式戦闘機はほかの戦闘機とくらべて、とくに機首部分がほっそりと尖ったルックスが特徴です。もしかすると、この愛称が採用された背景の一因には、こういった故事も関わっているのかもしれません。
そして、「飛燕」がこのような特徴的なデザインとなった最大の理由は、この機体が、同世代に量産化された日本の戦闘機としては珍しい方式のエンジンを搭載していたことが挙げられます。それが、数多くのガソリン自動車でも採用されている液冷エンジンです。
以前に読んだ元搭乗員やテストパイロットの対談(丸スペシャルの飛燕特集号)によれば「(整備状態が良ければ)高度一万mで編隊が組める唯一の機体だった。」との事でした。まぁ当時の日本には技術的にも戦術的にも厳しい機体だったんでしょうね。
速度や上昇力は連合軍側の機体に勝るわけではなく、格闘戦能力に欠けるので連合軍側からは楽な機体と認識されてたのがぴえんな所以では…
日本では低い低いといわれる上昇力ですが
米軍機にはP-40やF4Fなどもっと下がいます。
米海軍からは鹵獲された一型(記載されている武装から一型乙と思われる)
がカタログスペックから大きく下の性能しか出さなかったためにFM-2に対し
速度と加速、ズーム上昇で上回り、ロール性能は低速で同等、高速でわずかに劣る
旋回性能は同等かわずかに劣り上昇力は劣る、FM-2によく似た性能の機体とされています
米陸軍パイロットによればP-40Nと同等の機体とのことですから
開戦時に就役していた機種の後期型と同等かやや上くらいというところでしょうか
二速全開の高度も低く、三式とつく時期の機体としては寂しい性能ですね
DB601自体もオリジナルから高度馬力があまり良くないエンジンですので
正直、隼2型や二号零戦の方がはるかに強いんじゃないかと思ってます。