三式戦闘機「飛燕」は「“ぴえん”な機体」だったのか 実は革新的だった設計 その紆余曲折
ポイントの「液冷エンジン」どんなもの?
この時代の戦闘機は、蒸気機関やクルマのガソリン・エンジンなどと同じように、ピストンの往復運動を廻転運動に変換して動力を得るレシプロ・エンジンで、プロペラを回し推進する「レシプロ機」が一般的です。そのなかには、零戦に採用されているような空冷エンジン、そして「飛燕」で採用された液冷エンジンがあり、それぞれの特徴を有しています。
空冷エンジンは、バイクなどに多くみられるように、エンジンの回りに冷却フィンを取り付けて冷却するため、液冷エンジンと比較して構造が単純で、軽量化できます。対して液冷エンジンは、現代の自家用車のガソリン・エンジンに多くみられるように、冷却液をエンジンの周囲に流通させて冷却するタイプ。空冷エンジンと比較して大馬力を発生できる、つまり高速化や上昇性能の向上などに寄与する一方で、整備に高度な技術を必要とし、軍用としては被弾の際の弱点となります。
川崎航空機では、日本陸軍九二式戦闘機、九五式戦闘機、高速度研究機キ78など代々液冷エンジン搭載の戦闘機を開発しており、「飛燕」もその系譜をくむことになりました。
「飛燕」の開発のキモとなったエンジンは、ドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミット「Bf109」に搭載されていた液冷ピストン・エンジン「DB 601」の製造権を取得して、国産化したもの。それゆえ「飛燕」は、同じエンジンを搭載し、遠目には同じに見えることから、一部では「和製メッサー」と呼ばれたこともあります。ちなみに飛燕の主任設計者は、その後国産旅客機「YS-11」の開発にもその力を発揮する土井武夫氏です。
さて、このような革新的でスタイリッシュな戦闘機といえた「飛燕」ですが、本当に「ぴえん」な機体と評すべきものだったのでしょうか。
以前に読んだ元搭乗員やテストパイロットの対談(丸スペシャルの飛燕特集号)によれば「(整備状態が良ければ)高度一万mで編隊が組める唯一の機体だった。」との事でした。まぁ当時の日本には技術的にも戦術的にも厳しい機体だったんでしょうね。
速度や上昇力は連合軍側の機体に勝るわけではなく、格闘戦能力に欠けるので連合軍側からは楽な機体と認識されてたのがぴえんな所以では…
日本では低い低いといわれる上昇力ですが
米軍機にはP-40やF4Fなどもっと下がいます。
米海軍からは鹵獲された一型(記載されている武装から一型乙と思われる)
がカタログスペックから大きく下の性能しか出さなかったためにFM-2に対し
速度と加速、ズーム上昇で上回り、ロール性能は低速で同等、高速でわずかに劣る
旋回性能は同等かわずかに劣り上昇力は劣る、FM-2によく似た性能の機体とされています
米陸軍パイロットによればP-40Nと同等の機体とのことですから
開戦時に就役していた機種の後期型と同等かやや上くらいというところでしょうか
二速全開の高度も低く、三式とつく時期の機体としては寂しい性能ですね
DB601自体もオリジナルから高度馬力があまり良くないエンジンですので
正直、隼2型や二号零戦の方がはるかに強いんじゃないかと思ってます。