空戦が一変! 60年前の緊迫「第2次台湾海峡危機」で米国が台湾に与えた“切り札”とその影響

戦局を一変させた「サイドワインダー」の投入

 当時、共産主義勢力に対抗するため、台湾を軍事支援していたアメリカは、防空と抑止任務のため、最新鋭(当時)のF-104「スターファイター」を装備した飛行隊を台湾へ展開させることを決めます。

 こうして早速、9月10日にはC-124「グローブマスター」輸送機でF-104が空輸され、それとともに第83戦闘迎撃飛行隊の将兵も台湾に入ります。そして約1週間で態勢を整え、9月19日には早くも警戒任務に就くようになりました。

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カリフォルニア州ハミルトン空軍基地で分解されたF-104「スターファイター」を積み込み、台湾に向けて空輸準備中のC-124「グローブマスター」輸送機(画像:アメリカ空軍)。

 9月24日には第2次台湾海峡危機で最大の空中戦が勃発します。この戦いでは両軍合わせて130機を超えるジェット戦闘機が対峙しましたが、この時に史上初めて空対空ミサイルが戦果を挙げたのです。台湾空軍は、アメリカから提供された空対空ミサイルAIM-9B「サイドワインダー」を運用できるよう改造されたF-86Fで、中国空軍のMiG-17を合計25機も撃墜しました。

 ただ、中国側も戦果を手にしています。というのも、あるMiG-17になんと、不発だった「サイドワインダー」が突き刺さったままとなっていたからです。信管不良で撃墜されずに帰還した同機により、原型をとどめたミサイルを手に入れた中国は、それを旧ソ連に引き渡し、共産側も高性能な空対空ミサイルを開発する端緒を掴むことになりました。

 その後、金門島の攻防戦で砲弾が欠乏した中国軍は、10月6日に停戦を一方的に宣言します。ところが、アメリカ海軍の艦艇が中国の排他的経済水域に侵入、さらに当時のアメリカ政府で外交のトップだったダレス国務長官が台湾を訪問したことを受け、中国は同月20日に砲撃を再開しました。

 台湾は防空能力を向上するため従来の戦闘機をF-104「スターファイター」に置き換える空軍力強化プロジェクト、通称「阿里山計画」を実施します。これはアメリカをはじめとする西側諸国に配備されていたF-104をかき集めるもので、最終的には247機にものぼりました。ちなみに、この「阿里山計画」とは別に、世界初の実用超音速戦闘機として誕生したアメリカ製F-100「スーパーセイバー」戦闘機も84機を導入しています。

【今じゃ無理!】台湾の飛行場へ展開したアメリカ空軍のF-104戦闘機ほか

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コメント

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1件のコメント

  1.  「中国大陸で唯一、実効支配する福建省金門島」とありますが、連江縣馬祖は、大陸からの距離が200キロ以上あるが、金門島は2キロ程度なので、このような表現になったと理解していいでしょうか。

     また、「1972(昭和47)年の米中国交正常化」とありますが、これは上海コミュニケをさすのでしょうか。金門島への隔日砲撃は、1978年末まで続きました(1979年1月1日に米中国交樹立)。危機が収まったのは、砲撃が終わったとするなら1979年ですし、大規模な砲撃がなくなったとすれば1960年、隔日砲撃への移行ととらえるなら、1958年10月でしょう。