「YS-11」はなぜ日本人を惹きつけるのか? 戦後初の国産旅客機が飛んで60年 分かれる評価
賛否両論ある?「YS-11」評あれこれ
回顧談としてこの“セールスの難しさ”を盛り込んだ書籍や、航空会社が使いやすい機体とするために、エアラインの社員も必死になって就航後の改良に取り組んで意見を出しあった、それらの思い出をまとめた書籍もあります。『YS-11エアラインの記録 国産旅客機を現場で育てた整備技術者、パイロット、スチュワーデス』(1998年、日本航空技術協会)です。『戦後国産機開発の苦闘と教訓 テストパイロットの証言』(長谷川栄三著、1994年、酣燈社、現せきれい社)にも、残されています。
一方、YS-11が経営的に失敗だったことへ斬りこむ書籍『YS-11の悲劇 ある特殊法人の崩壊』(山村堯著、1995年、日本評論社)も現れました。それまでは何となく経営批評はタブー視されていただけに、「よく出版したものだ」とこの頃に、ある航空月刊誌の編集者が感慨深げに語ったのを覚えています。
戦後の復興へ期待を集めて登場したものの、思うにまかせず赤字となった。けれども、多くの人々に支えられて黙々と乗客を運び続けて、そして消えていく――YS-11の歴史は日本の航空史にとっても重要なのはもちろんのこと、なんとなく人生っぽいような気がします。それが今も、日本人の関心を集める理由でしょう。
また、YS-11は、軍用機や自衛隊用の機体を多く作ってきた日本にとって、快適さと安全性、そして高い経済性を求める旅客機の開発がいかに難しいかを教えてくれた機体でした。民間機開発の礎を築いたのは間違いありません。日本はYS-11の経験を糧に、旅客機の開発を再び手掛けることができるのでしょうか。現在 “凍結中”の三菱スペースジェットを最終的にどうするのかを含め、今後の動向が注目されます。
【了】
Writer: 相良静造(航空ジャーナリスト)
さがら せいぞう。航空月刊誌を中心に、軍民を問わず航空関係の執筆を続ける。著書に、航空自衛隊の戦闘機選定の歴史を追った「F-Xの真実」(秀和システム)がある。
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