今はなき大幹線「名寄本線」が全通した日 道東への”初期ルート” -1921.10.5

101年前の10月5日、北海道の鉄道路線、名寄本線が全通しました。

網走への鉄道ネットワークを形成する路線

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名寄本線の下川駅跡にたたずむ気動車(画像:写真AC)。

 今から101年前の1921(大正10)年10月5日、北海道の名寄駅と遠軽駅をむすんでいた、名寄本線が全通しました。

 名寄本線は道北と道東をオホーツク海沿い経由で連絡し、興部や紋別、湧別といった街に鉄道をもたらしました。

 実は当時、石北本線・釧網本線はまだ開通しておらず、札幌方面と網走をむすぶルートは、名寄経由で名寄本線から行くか、富良野・池田を経由し、池北線で北上するかしかありませんでした。上川~遠軽間に立ちはだかる「北見峠」、そこに鉄道を通す技術はまだ十分でなかったのです。

 1925年4月時点のダイヤを見ると、13時台に函館を出発し、翌日の朝7時台に名寄に停車し、15時前に野付牛駅(現:北見駅)に到着する長距離夜行列車が設定されていたようです(逆は野付牛駅14時台発、函館翌15時台着)。ほかに全線通し列車が1往復、約7時間かけて走破する列車がありました。

 全通当時はまだ中湧別駅を境に、名寄線と湧別軽便線に分かれていました。統合されてひとつの「名寄本線」になったのが1932(昭和7)年です。同時に石北本線が全通を迎え、新たな道東ルートが完成を見ました。しかしそれは、名寄本線の幹線ネットワークとしての地位が低下したことを意味します。

 1960年代になると、札幌からは名寄経由で急行「紋別」が、網走からは急行「天都」が運行されるようになりましたが、依然ローカル線の雰囲気は否めず、利用客も伸び悩んだことから、1985(昭和60)に廃止が決定。JR移管直後の1989(平成元)年に廃止されました。

「本線」と名乗りながら不遇を味わった名寄本線。同様に、深川から北海道西部沿岸をむすぶ「留萌本線」も現在、廃止の瀬戸際に立っています。この先、運行区間が段階的に縮小され、2026年度に全線廃止される方針で、調整が進められています。

【了】 

【「名寄本線」のあった風景】

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コメント

2件のコメント

  1. JR北海道の惨憺たる現状を見るにつれ、これが果たして本当に民営化の正しい政策だったのか?どうしても疑問に思わざるを得ません。北海道だけでも、国防上の観点から、国鉄に戻すべきではないでしょうか?

    • ですよねえ、それに道路維持管理費や路線バス関係の総費用がホントに鉄道より安上がりかも大いに疑問。

      現地以外の私なんかでも、魚介農産物の貨物では日々お世話になってるし。