エンジン4発積んだのがアダに…でもなぜ? 「エアバスA340」誕生経緯 ヒット逃した不出世機

A340が4発機となったワケ

 エアバスA340が4発機となったのは、なによりも「コストパフォーマンスよく、長距離飛行に耐えられるような新型機を作りたかった」ということの現れでしょう。

 エアバス社では1980年代前半から、中型の機体としてA300の販売を一段落させ、一回り大きな、最大で400席クラスの旅客を運べるような新型機の開発に乗り出します。当初A340は、A300の発展型ということからA300B11という名称から「TA11」という名称で計画が練られていました。TAは2本の通路を現す「ツイン・アイル(Twin Aisle)」の略称です。

 このとき、「TA11」とほぼ同時に開発が進められていたのが、のちに双発機「A330」となる姉妹機「TA-9」。これらの2機は、設計の共通性が図られています。A340を3発機とすると尾翼設計などの設計刷新が必要なことが一般的であることから、それを要さずに長距離を飛べるように……といった試みでしょう。ちなみに、A330の長距離バージョンともいえるような「TA-12」というモデルも計画されましたが、これは実現せず終えています。

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ボーイング767初期タイプの量産初号機。ユナイテッド航空向けだった(画像:ボーイング)。

 一方1980年代、ボーイング767を皮切りに、双発機が徐々に長距離路線へ進出するようになっていたものの、認証に時間を要するなど、この規制をクリアするのはまだハードルが高い時代でした。4発機であればこの規制にはなにも引っかかることなく、少リスクで長距離市場に参入できますし、当時の顧客、つまり航空会社側からもA330との整備の共通性などから、4発機として開発すべきだという声多く聞かれたそう。こうしたことから、A340は4発機となる判断に至ったというのが広く知られている説です。

 ただ、デビュー後のA340は時勢が味方をしませんでした。その後、エンジンの信頼性がますます向上したことで双発機の洋上の飛行規制が緩和され、より容易に、より長く洋上を飛ぶことが許可されるようになると、4発エンジンのA340は運航コストがかさむ存在として見られるように。より大型の派生型も誕生したものの、4発機自体の存在意義がうすれてしまったこともあり、2016年に製造を終了。製造機数は400以下に留まりました。

 とはいうものの、先述したようにA340が各国のVIP機として使用された例は、エンジン数がより多いほうが安全性がより高い、といった判断もあるからでしょう。せめてあと5年デビューが早かったら、A340は長距離市場を席巻するモデルになれたのかもしれません。

 日本のエアラインでは採用されなかったものの、過去の成田空港では、A340を見ることは珍しいことではありませんでした。着陸体制に入る姿は、どことなく“空の貴婦人”とも称された往年の名機、ダグラスDC-8を彷彿とさせるような美しさを持っていた気がします。

【了】

【写真】長過ぎませんか!? 世界最長を記録したA340派生型「A340-600」

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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コメント

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1件のコメント

  1. 777や747-400に比べ後方座席でも、エンジン音が静かでした。
    飛行速度に触れていませんが、確か成田〜ロンドンで30分〜1時間余計に掛かったかと。