「東京最古の私鉄路線」とは? 造られるはずではなかった“終点”の128年後
無事に仮駅廃止…ちょっと待った!!
橋梁工事が済み翌年3月に川越まで開通すると、久米川仮駅は廃止に。そこで東村山の人々がお金を出しあい土地を提供し、同年8月「東村山駅」が現位置に開業するに至りました。現在も駅西口に立つ石碑には、当時の出資者の氏名がズラリと刻まれています。
「当時の東村山村は5村の合併で成立しており、久米川仮駅は旧久米川村にあったのでそう呼ばれました。しかし、東村山駅の建設に際しては秋津や恩多など、村内全域から出資が募られたこともあり、『東村山』の名が採用されました」(東村山ふるさと歴史館)
旧久米川仮駅付近には、かつて東村山市役所も置かれ、古くからの地域の中心地だったそうです。そこから南へ数百メートルの位置に東村山駅が設けられたのは、「まとまった土地があったからではないか」とのことでした。
川越鉄道の国分寺~川越ルートはその後、都心へ直通する武蔵野鉄道(現・西武池袋線)や東上鉄道(現・東武東上線)が大正時代に開通するなどして、競争力を失います。このため、昭和に入ると、国分寺~川越の途中から都心へ直通する現在の西武新宿線ルートが開通し、東村山がその分岐点となりました。以後、国分寺~東村山間は支線となったのです。
ただ、川越鉄道の黎明期に「もし柳瀬川の橋梁工事が難航していなかったら、仮駅も東村山駅も存在していなかったかもしれません」と、東村山ふるさと歴史館は話します。
ちなみに、国分寺~久米川間の開業時には、途中駅として小川駅(小平市)が開設されています。これは同駅が青梅街道に近く、需要が望めたため、などとされます。国分寺駅を除けば、同駅が東京最古の私鉄駅といえるでしょう。
【了】
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