日本では激レア機!? ボーイング唯一のはぐれ者“720”の伝説 兄の“707”そっくり…違いは?
「720」が開発された理由&謎の型式名はなぜ?
このように、後発機にお株を奪われてしまうことが明らかになった状況でも、720を開発したのは、航空会社側から、「使い慣れた707とよく似た旅客機」のニーズがあってのことでしょう。
707の設計をベースにアレンジする方向性とすることで、ゼロから旅客機を開発するよりも金銭コストを大きく軽減できるほか、開発期間も大幅に削減できました。720の開発が発表されたのは1957年7月。たとえば727は7年を要するなか、720はわずか2年少しで初飛行までこぎつけたのです。このスピードは、「生き馬の目を抜く」とも称されるほどの競争が行われているエアライン業界で、一刻も早く新機材を航空会社に届けることができました。
こうした経緯もあり、720の旅客便デビューは1960 年 7 月 5 日で、アメリカ・ユナイテッド航空で就航しています。
なお、720が開発された当時の日本のエアラインは、まだ発展途上にあり、国内線にジェット旅客機を運航する能力は無く、この市場ではYS-11などのプロペラ機がまだ活躍している状態でした。その結果、国内で720の採用はなく、日本では“レア機”の部類に入るモデルであったと認識しています。
ちなみに720は「727」「737」「747」など1ケタ目と3ケタ目の7を固定する、ボーイング社の型式の命名法則から唯一外れた旅客機です。
実は当初720は「707-020」として開発され、後に「717-020」の仮モデル名を付し、開発が進められた経緯があります。そこから最終的に「720」というモデル名になったのは、開発の後ろ盾なる初期発注者「ローンチカスタマー」であるユナイテッド航空からの要望に基づいたものと記録されています。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
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