伝説の超音速旅客機「コンコルド」 劇的な幕切れの背景とは “スピード全振り”も退役の一因?
スピード全振りとトレードオフだった「コンコルド」の仕様
「コンコルド」は長さが約60m、主翼の幅が約25mの大きさです。ただスピードを追求したがゆえに生まれたその細長いルックスからわかるように、胴体の幅は約3mしかありません。ちなみに現在、日本の国内線でも多く就航しているボーイング737は胴体幅が約3.7mあるため、それよりも一回り機内は小さいといえるでしょう。窓の大きさも、スマートフォンより少し大きい程度のサイズでした。
客室は1本の通路を挟んで、横2-2列の座席レイアウトを採用。ただ、特別な機体であることから、これらはすべて「ファーストクラス」で、運賃も高額でした。その一方で、特別な機内サービスや機内食、専用の空港ラウンジなどが用意されていたそうです。
そのような「コンコルド」は、イギリス・フランスが共同した国家横断的プロジェクトで開発されたもので、試作型6機、量産型14機が製造されました。
かつて、世界の航空先進国は、こぞって超音速旅客機の開発が進めていました。アメリカでは、ボーイング社が2707、ロッキード社がL-2000などを計画しましたが、両者とも実物大模型が作られただけで、実機の開発には至っていません。
一方、旧ソ連(現ロシア)は「ツポレフTu-144」を開発し、「コンコルド」よりも早く初飛行を実施し、世界最初のマッハ2で巡航できる旅客機としてデビューさせました。ただ、この機も、実際には半年ほどで運航停止に。こうして長く実用化した超音速旅客機は「コンコルド」のみとなったのです。
ただ「コンコルド」は超音速旅客機という特殊性ゆえ、高度な整備が必要であり、維持費も高かったほか、燃費なども通常の旅客機より遥かに高額でした。そういった経済性の悪さゆえ、最終的に定期路線でこの機を運航したのは、開発国のフラッグキャリアである、ブリティッシュ・エアウェイズとエール・フランスのみとなっています。
40年位前、シンガポールの20ドル札にはSQのコンコルドが印刷されてましたよ。