伝説の超音速旅客機「コンコルド」 劇的な幕切れの背景とは “スピード全振り”も退役の一因?
波乱にのまれた「コンコルド」退役の決め手は?
就航後の「コンコルド」は、その唯一無二の存在感で、四半世紀ものあいだ、2社の“顔”として君臨し続けました。この流れが大きく変わったのが、2000年です。
2000 年7月25日、エール・フランス4590便としてシャルル・ド・ゴール空港を出発した「コンコルド」は、離陸直後に大炎上しながら空港近くへと墜落しました。これをうけ、ブリティッシュ・エアウェイズの機体もふくめ、すべての「コンコルド」が飛行停止になります。
公式記録によると、この原因は、その前に離陸した旅客機が落とした金属片を踏んでしまい、タイヤがバーストし、そのタイヤ片が燃料タンクを破壊したというものでした。その後「コンコルド」には、タイヤや燃料タンクなどに改修が加えられ、2001年7月17日にテスト飛行を実施。その年の11月7日に定期路線へ復帰しています。
こうして、安全を確認したあと再出発を図った「コンコルド」ですが、2003年4月10日、両エアラインが同型機の退役を発表しました、これは、事故以来「コンコルド」便の搭乗客が減ってしまったことだけでなく、2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ事件、いわゆる「9.11」による旅行需要の大幅な落ち込みなども影響したとされています。
加えて、機体自体も経年化が進んでいたほか、民間航空の世界では、「ジャンボ・ジェット」とよばれたボーイング747を始めとし、スピードよりも居住性を重視する傾向が高かったことは否定できません。結果、巡航速度こそ速いものの、高額な運賃のわりに著しく狭く、古い機体になったことも退役の決定打だったといえるでしょう。
こうして「コンコルド」は冒頭に記したように最終商用飛行を行い退役したのですが、それはブリティッシュ・エアウェイズ機によって実施されたものです。一方のエール・フランス便は、2003年5月30日のパリ発ニューヨーク行きで、最終フライトが実施されています。ちなみに、英仏両国の「コンコルド」運航実績はブリティッシュ・エアウェイズが5万便弱で搭乗者数は250万人以上、エール・フランスは約3万3000便で搭乗者数はおよそ141万人と記録されています。
なお、欧米の航空博物館では、「コンコルド」がいくつか保管・展示されており、その勇姿は、それぞれの博物館において目玉のひとつとなっています。
2022年現在、アメリカの・ブームテクノロジー社が新たな超音速旅客機の実用化にむけ取り組みを進めていますが、ぜひこの機が「21世紀版コンコルド」として飛ぶ姿を見たいものです。
【了】
40年位前、シンガポールの20ドル札にはSQのコンコルドが印刷されてましたよ。