多摩モノレール延伸の武蔵村山「鉄道100年お預け」の歴史 “西武新宿行き”なぜ実現せず

“プリンスの故郷”武蔵村山は文字通りクルマ社会へ 

 のどかな農業都市だった村山はその後、都内有数の公営住宅(都営村山団地)や日産自動車(旧プリンス自動車)村山工場などが整備され、たった12年のあいだに村山村→村山町→武蔵村山市(単独市政施行)と進化を遂げます。

 そして武蔵村山市は、市境から1kmほど南側を通過する西武拝島線(1968年開業)に、市のアクセス駅として1983(昭和58)年に日産自動車との共同出資で武蔵砂川駅(立川市)を整備します。しかし中心部からの距離が遠く、玄関口としての利用は今ひとつ。

 しかし1998(平成10)年には多摩都市モノレールの立川北~上北台間が開通し、武蔵村山市境から1kmほどの東大和市内にモノレールの3駅(上北台、桜街道、玉川上水)が誕生。ここでようやく、「武蔵村山市内から自転車でモノレールの駅に出て通勤・通学」というスタイルが定着します。

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多摩都市モノレールの終点「上北台駅」。ここから西に大きく曲がって武蔵村山市内に入る予定(宮武和多哉撮影)。

 2016年に武蔵村山市が住民に行ったアンケートでは、「買い物」や「住環境」などほとんどの項目で「交通が不便」「これで鉄道があれば言うことなし」と、市域まであとわずかに迫ったモノレールに触れる回答がきわめて多く見られました。

 いま武蔵村山市では新青梅街道(青梅街道のバイパス)の拡幅工事が行われており、モノレールもこの中央分離帯に建設が予定されています。周囲にはイオンモールや既存の団地があり、沿道では商業施設やマンションを呼び込むための規制緩和も検討されています。この街にとってモノレールは、100年越しの鉄道というだけではなく、渋滞が続く青梅街道から新青梅街道へ「街の軸を作り替える作業」でもあるのです。

【了】
※一部修正しました(12月15日9時12分)。

【貴重資料!】鉄道ない武蔵村山の地図&「西武村山線」原初の計画路線図

Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)

香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。

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