ついに歴史に幕「ジャンボ機」 なぜ日本は「747王国」に? 爆買い続けた過去、納得の理由
成田空港の状況は?
そうした経緯から、2つ目の首都圏空港として作られた成田空港ですが、予定地で日本史に残るほどの建設反対運動が起き、開港予定は1972年から1978年へずれこみました。開港しても、当初3本を予定していた滑走路は、2002年4月に平行滑走路の供用開始まで、わずか1本体制で運用を続けるといった状況でした。
今でこそ、日本のGDP(国内総生産)は世界3位と隣国中国に抜かれ、長距離の国際線も747より小ぶりな双発機で運航できるようになりました。しかし、当時「日本の空の玄関」と呼ばれつつも建設が進まなかったなか、成田空港が限られた発着数で多くの旅客を受け入れるのに、747は都合がよかったのです。
747を成田や羽田で見る時、筆者は日本の経済規模と発着枠のアンバランスへ思いがよぎりました。現在、羽田と成田は合わせた発着数は約100万回を目指しており、成田空港ではLCC(格安航空会社)が使うA320や737の小型機も多く見る機会が増えています。かつて「ジャンボ機王国」だった日本も、確実に時代が変化したといえるでしょう。
【了】
Writer: 加賀幸雄(旅行ライター)
日本各地の名産や景勝に興味があり、気ままに目的地を決めて2泊3日程度の 小旅行を楽しんでいる。
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