ザ・国民車「スバル360」登場 1958.3.28 航空機の技術で「あえて軽自動車から」にはワケがあった

小さな排気量で4人乗車をどう実現?

 現在の軽自動車は排気量660cc以下の車両を指します。しかし当時は360cc以下と定められており、「スバル360」は356ccという小排気量のエンジンで、4人乗りと安定した走行を実現させなければなりませんでした。

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リア部分に収められているエンジン(画像:スバル)。

 そのとき活きたのが、富士重工業の前身である中島飛行機で、航空機を研究していた百瀬らの技術でした。軽量で高速、そして剛性の高さも同時に実現するためにフルモノコック・ボディを採用しました。モノコック・ボディとは、フレームを使わないで、卵の殻のように外板だけでボディの強度を保つ構造です。現在のクルマでは定番の技術になっていますが、当時ではまだ珍しく、薄板をまげて強度を出す飛行機の技術があったからこそ、こうした技術が実現できたといわれています。

 また、エンジンをリアに配置したのも大胆な設計構造といわれていますが、これは限られたスペースに4人をゆったり乗せるにはどうすればいいかと百瀬らが考えた結果、リアエンジンで後輪駆動という結論になったそうです。さらに、小さい車体に合った足回りにするために、トーションバースプリングを採用し、十分なスペースを取ることに成功しました。

「スバル360」の発売当時の価格は42万5000円。1958年当時の一般的なサラリーマンの月収が1万6000円といわれており、大衆車とはまだ呼べず高値の花ではありました。しかし、日本国民の給料は急速に上がっていき、1970年に生産終了するまでに、累計で約39万台を売り上げ、その後の自動車産業に大きな影響を与えました。

【了】

【今は公園のモニュメント】当時「スバル360」が生まれた旧伊勢崎製作所第2工場のレンガの壁(写真)

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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