戦艦から転身 空母「加賀」竣工-1928.3.31 廃艦の危機を乗り越え主力艦へ
最期はミッドウェーの海
太平洋戦争が始まる前の戦歴としては、中華民国軍と戦った1932(昭和7)年の第1次上海事変、1937(昭和12)年の第2次上海事変にそれぞれ出撃しています。偵察機や攻撃機を発進させ、杭州などを爆撃しました。
1941(昭和16)年12月、太平洋戦争開戦の契機となった真珠湾攻撃に参加。ほかの日本空母5隻とともに、作戦を成功させます。その後は、西太平洋のトラック島へ進出し、ラバウルやポートダーウィン攻略など、南方作戦に従事しました。
しかし1942(昭和17)年6月、太平洋戦争における勝敗の分岐点ともいわれるミッドウェー海戦が運命の一戦となります。5日朝、ミッドウェー島の攻撃へ向かった味方機から相次いで「敵艦隊発見」が報告されると、「加賀」の飛行甲板では艦載機に対し、陸上攻撃用の爆弾から艦船攻撃用の魚雷へ転換が行われました。続く攻撃隊の発進は大きく遅れます。
慌ただしい「加賀」に、アメリカ軍の急降下爆撃機が襲来します。発進準備中の飛行甲板に爆弾が命中し、兵器や機体に次々と誘爆。さらには航空機用の燃料タンクにも爆弾が命中し、「加賀」はあっという間に炎に包まれます。
消火活動もままならず、およそ9時間後に大爆発を起こしながら沈没。この海戦に参加した4隻の空母の中で、「加賀」は最も大きな人的被害を出しました。なお結果的に、参戦した日本の全空母が撃沈されています。
戦艦として生まれ、一度は廃艦が決定するも空母として再出発を果たした「加賀」は、今もミッドウェー島沖の海面下5200mという深海に眠っています。
【了】
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