こんなところにも成田空港の苦難の歴史が! 「不格好な誘導路」の変遷が示す経緯とは

長年の建設反対闘争が影を落としてきた歴史をもつ成田空港。2本目の「平行滑走路」が実現するまでに長い時間を要しましたが、実はこの滑走路をつなぐ誘導路にも苦難の歴史があります。

最初は誘導路が一本しか繋がってなかった?

 成田空港の第2・第3ターミナル側にある「平行滑走路(B滑走路)」。この設備が、滑走路と複数本の誘導路でつながる現在の姿になったのは、開港から35年たった2013年3月でした。これは長年の建設反対闘争が影を落としてきた歴史を示すポイントでもあります。

紆余曲折を経て、平行滑走路自体は2002年4月から使われ始めましたが、実は滑走路と駐機場をつなぐ誘導路が整うまで、2002年からでも10年以上かかっているのです。どのような変遷をたどったのでしょうか。

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成田空港B滑走路に着陸するANA機(乗りものニュース編集部撮影)。

 1978年の開港以来、成田空港は全長2500mの平行滑走路の供用が長く待たれてきましたが、未買収用地が残るため建設はできませんでした。その後1996年12月、2000年度をめどに平行滑走路を完成させると目標が発表されたものの、結果的に断念。代わりに全長2180mの“暫定”と名付けられた長さで、滑走路の建設が発表されました。

 この暫定平行滑走路は2002年4月に使われ始めましたが、この時は滑走路と駐機場をつなぐ誘導路は1本しかありませんでした。その姿に当時の新東京国際空港公団(現成田国際空港株式会社)の職員からも「不格好」とため息が漏れるほどでした。

 平行滑走路と駐機場をつなぐ誘導路は、複数なければ航空機の円滑な発着ができないことは、空港関係者も当然分かっていました。ただ、誘導路が少なく「不格好」な状態でも、2本目の滑走路は必要でした。

反面、空港建設反対派との話し合いによる解決も並行して試みられていました。その一環で、平行滑走路の南端から東側を回り込む2本目の誘導路も考えられていたものの、滑走路南端延長線上にある反対派の土地や家屋を誘導路で囲ってしまうため、建設に至りませんでした。

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