中央線の都心部なぜクネクネ? ビシっと真っすぐにさせなかった「陸軍と地形と世相」

JR中央線の新宿~東京間は、一直線な立川~中野間と対照的に「S字カーブ」でやたらと遠回りしながら東京に到着します。このようなルートになった経緯はいろいろありますが、別ルートの構想も数々ありました。

いろいろあったルート決定、そのいろいろの中身とは

 先述のとおり甲武鉄道は、神田三崎町にターミナルを設置しようと考えていました。この地にはもともと江戸幕府の講武所を引き継いだ陸軍の練兵場があり、近代的な青山練兵場の完成をもって民間に払い下げられることが決まっていたのです。しかし甲武鉄道が狙っていた用地は三菱の手に渡ってしまったため、隣接する砲兵工科学舎の土地を譲り受け、飯田町にターミナルを置く計画に変更しました。

 また、地形から見れば理想的である北線ルートにも問題がありました。当時の皇居北西方面は開発が進んでおらず乗客が少なかったことと、八王子方面との直通には新宿駅でスイッチバックする必要があったことです。

 そこで四ツ谷経由の「南線」を検討した結果、建設費は多少増えるものの、北線より将来性があり、また青山練兵場を経由することから軍事輸送上のメリットも期待できるとして、ルートの変更を決定します。青山練兵場、赤坂離宮の通過を巡って陸軍省、宮内省との協議が重ねられ、赤坂離宮の端をトンネルで通過するなどルートの一部変更を受け入れ、1892(明治25)年に合意を見ました。

 外濠に沿って東京市内に乗り入れる市ケ谷以東についても市区改正委員会の指示を受け「線路と道路の完全立体交差化」が決定。1893(明治26)年に免許を得て、翌1894(明治27)年10月に新宿~牛込(現在の飯田橋付近)間で開業しました。なお同年7月に日清戦争が勃発したため、新宿~青山軍用停車場を速成して、正式開業前の9月から軍事輸送を開始しています。

 甲武鉄道市街線は開業翌年に全線を複線化すると、1904(明治37)年8月から飯田町~中野間で電車運行を開始し、同年12月に御茶ノ水まで延伸。東京初の本格的な都市高速鉄道としての地位を確立し、大正期の市街地の拡大、郊外化を牽引しました。

【路線図】えっ…! これが「中央線の都心短絡線」計画ルートです

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