「ズル」との戦いの歴史? 鉄道きっぷの「自動券売機」日本第1号は明治か 「機械が正しい」思い込みと落とし穴
鉄道きっぷを買うための「自動券売機」はいつからあったのでしょうか。また、最初の券売機にはどんな機能が備わっていたのでしょうか。進化の過程でさまざまな知恵が見え隠れします。
「自動券売機」歴史はかなり古かった
ICカードの普及で数を減らしつつある自動券売機ですが、一方で多機能化が進み、企画乗車券や定期券の発売、特急券の購入までひとつの機械で対応できるようになっています。では逆に、歴史を最古までさかのぼれば、「自動券売機」というものは一体どんな姿だったのでしょうか。
自動販売機の歴史は古く、紀元前215年頃の古代エジプトの神殿に、硬貨の重みで「聖水」を一定量販売する装置があったと記されており、1600年代にはイギリスでタバコの自動販売機が登場したそうです。
1880年代のロンドンには7000台もの自動販売機が稼働していたといいます。当時からズルを考える人間はいたようで、1887年5月26日大阪朝日新聞では「鉄くずを入れたり、硬貨に穴を空けて糸を通したり機械を欺こうとした人もいたが、最近の機械は不正対策が導入されたため損失は出ていない」と紹介されています。券売機の歴史は、人間との知恵比べの歴史でもありました。
日本に目を向けると、国鉄初の自動券売機は、『日本国有鉄道百年史別冊 国鉄歴史事典』(1973)によれば、1926(大正15)年4月25日に東京駅と上野駅に設置されたドイツ製の入場券販売機です。当時、1日あたりの入場券発券枚数は東京駅が4500枚、上野駅と新宿駅は2500枚にのぼっており、機械の導入で大幅な省力化が期待されました。
券売機は投入口に十銭白銅貨を入れて、ハンドルを2回まわすと、印字済みのセットされた入場券が飛び出す仕組みでした。すでに不正対策が備えられており、白銅貨以外を投入すると、鉄製のものは機械の中に設置された磁石に吸引され、鉛製のものは中で噛み切られて受け付けなかったそうです。
しかし外国製の複雑な機械は故障すると修理が困難という難点があったため、1927(昭和2)年12月、東京・上野・新橋・水戸・宇都宮に「国産の自動券売機」がお目見えします。これは硬貨を投入してボタンを押し続け、ベルが鳴ったら指を離すと切符が出る仕組みで、不正対策として「硬貨に穴が開いているか判定する装置」が組み込まれていました(十銭白銅貨には穴があいていた)。
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