「ズル」との戦いの歴史? 鉄道きっぷの「自動券売機」日本第1号は明治か 「機械が正しい」思い込みと落とし穴
複数種類の運賃に対応するのは難しかった
国有鉄道の正式な取り組みとしてはこれが最初としても、導入を目指した動きはそれ以前からあったようです。1901(明治34)年12月10日付読売新聞は、近く新橋駅に「官鉄自動器入場券」を導入予定との記事があり、1907(明治40)年11月16日には、ようやく実用に足る機械が発明され、新橋駅から順次、設置していく方針と伝えています。
しかし実際に導入されたという記録はなく、どちらも何かしらの不具合で断念されたと思われます。実際に使われたという記録は、1911(明治44)年1月7日付大阪毎日新聞の、大阪駅が「自動式入場券発売箱」を製作して待合室の入口に設置したという記事が初めてです(先述の歴史事典には記載なし)。
さて、1927年の本格導入を受けて、都内では拡大と活用を目指した動きが始まりました。例えば国鉄新橋駅は1928(昭和3)年に「山手線内の運賃を10銭均一にして自動券売機を本格導入すべし」と鉄道省旅客課に上申しています。「機械の都合のために均一運賃とする」という発想は、同時代の東京地下鉄道が導入した、硬貨を直接入れて動かす「ターンスタイル式自動改札」に通じるものです。
10銭均一化はさすがに影響が大きいため見送られましたが、代わりに1930(昭和5)年、山手線内のきっぷを発売する「乗車券自動発売機」が東京・上野・新宿に登場。5銭、10銭、15銭区間用の券売機を「それぞれ設ける」という力技でこれを解決しました。
ただ運用には問題も多く、1939(昭和14)年9月には新宿駅の駅員が、「全駅共通の券売機カギを紛失する」というポカをしたため、券売機を休止する事態となっています。鉄道省はカギを作り直し、1940(昭和15)年春から使用を再開しますが、同年9月14日付の東京朝日新聞は「運賃箱から月100枚前後の不正な硬貨が発見され、利用も多くないため、入場券のみの販売に切り替える方針」と伝えています。
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