僚艦は18隻! 駆逐艦「浜風」竣工-1941.6.30 幾度も遭遇した主力艦の最期

戦艦「大和」とともに沖縄へ…

 その後も南方への作戦に参加しますが、海戦が勃発するたび作戦行動を共にする艦艇を失っていきました。1944(昭和19)年に入ると、6月のマリアナ沖海戦、10月のレイテ沖海戦に参加。いずれの激戦も生き抜き、沈没艦の乗員救助に勤しみますが、特にレイテ沖海戦では戦艦「武蔵」の護衛も担当しています。

 11月には横須賀~呉間で、竣工したばかりの大型空母「信濃」の回航を護衛。しかし「信濃」はアメリカ軍潜水艦の雷撃により、竣工からわずか10日で沈没してしまいました。「浜風」は「武蔵」に続いて大型艦の最期を看取り、乗員を救助しています。

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戦艦「大和」。「浜風」も「大和」と運命を共にした(画像:アメリカ海軍)。

 年が明けた1945(昭和20)年1月はじめ、台湾でタンカーとの衝突事故を起こした「浜風」は、修理のうえ1月末に本土へ帰還しました。そして3月、沖縄のアメリカ軍に対し、座礁させ砲台化した艦から砲撃を加えるという、実質的な水上特攻を下令されます。これには戦艦「大和」も含まれていました。

 5日、「浜風」「大和」ほか軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦から成る艦隊は沖縄へ向けて出撃。しかし翌日にはアメリカ軍の潜水艦によって動向が察知され、攻撃を受けるのは時間の問題となりました。ただ、この日は交戦することなくそのまま翌7日を迎えます。

 正午過ぎ、沖縄近海のアメリカ軍空母が発進させた艦載機の大編隊が襲来、艦隊は猛攻にさらされます。早くも被弾し航行不能となった「浜風」に、トドメとなる魚雷が命中しました。戦闘開始から比較的早く沈没してしまったため、「浜風」はその最期が、ほかの艦艇の多くの乗員に目撃されています。

「大和」の沈没もあり作戦は失敗。一連の海戦には、僚艦「磯風」「雪風」も参加していましたが、本土へ帰還できたのは「雪風」でした。さらにいえば、全部で19隻あった陽炎型駆逐艦のうち終戦を迎えたのも、「雪風」ただ1隻のみでした。

【了】

【写真】僚艦「磯風」が看取った戦艦「武蔵」の最期

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