ココ鉄道だったの!? 東京の住宅街の廃線から怪しいカーブ 実は「通勤電車化」構想まであった!
「鶴見線みたいなもの」? その後どうなったのか
北区役所が打ち出したという旅客化構想は、1954(昭和29)年の1月に読売、毎日、朝日の3紙が相次いで報じていると、北区中央図書館発行の「北区こぼれ話」のひとつに書かれています。
その目的は、王子から豊島へ向かうバスや、都電の混雑を緩和するため。貨物列車が1日4往復する程度だった須賀線を電化し、王子四丁目と豊島六丁目または七丁目の2駅を設け、4両編成の電車を運行。朝夕15分間隔、日中30分間隔と、具体的なラインまで考えられていたようです。
「北区こぼれ話」では、「工場街への引き込み線による通勤という点では、京浜工業地帯を走る鶴見線を小さくしたようなイメージでしょうか」と記されています。
もし実現していたら、後に建設された豊島五丁目団地や王子五丁目団地からの通勤通学客を運んだかもしれません。後者は目の前に東京メトロ南北線の王子神谷駅ができましたが、前者の豊島五丁目団地と王子駅のあいだは、今でもバス本数も利用者も多い都営バス有数の“ドル箱”区間です。
しかし、この計画がどの程度進み、消えていったかは明らかでないといいます。記事を執筆した北区立中央図書館「北区の部屋」の黒川徳男さんは、「昔は行政の手法が違って、できるかできないかは置いておいて、行政がこうした大胆な構想を打ち出すことがありました。そうしたもののひとつでしょう」と話します。
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北本通りとの交差点って「王子消防署前」のほうじゃない?