メトロの前身「営団」が消滅免れた理由 最大の敵はGHQより「東京都」!? 丸ノ内線開業までの「壮絶な戦い」
あとは地下鉄をつくる「資金」が必要だ!
こうして政治力で半ば強引に存続が決まった交通営団でしたが、地下鉄建設に着手できないと再び廃止論が台頭しかねません。最大の問題は建設資金の調達でした。
もともと交通営団は資本金6000万円の10倍まで交通債券の発行が認められており、これで全路線の建設費をまかなう計画でしたが、これは戦前の貨幣価値。すでに物価は大幅に上昇しており、第1期線の池袋~神田間だけでも必要な建設費は「41億円」となっていました。これでは交通債券だけで到底まかなえません。
そうした中、1949(昭和24)年4月にアメリカの対日援助相当額を国が積み立てた「対日援助見返資金」の貸付制度が発足し、総額1000億円の貸し出しが決まると、交通営団はさっそく交付を申請しますが、GHQは難色を示します。「地下鉄建設のような長期かつ安定的な事業は、永続性のない資金に頼るべきでない」との見解でした。
そこでGHQが提案したのが、政府が計画していた「資金運用部」の資金の活用です。これは郵便貯金や年金などを原資として公的機関に貸し付ける制度で、もので、1951年に設置され、2001年廃止となり、現在は財政投融資として運用されています。ここから融資を受けるには民間の出資を受けていない必要があるため、1951(昭和26)年に営団法を改正し、私鉄など民間からの出資をすべて買い入れ、出資者を政府(日本国有鉄道)と東京都に限定します。
これで公共団体と認められ、無事「資金運用部資金」から建設資金を確保。地下鉄建設の準備が整い、丸ノ内線の建設に着手するのでした。
この激動の期間に1946(昭和21)年から1961(昭和36)年まで3代目総裁を務めた鈴木清秀は、戦前は鉄道省で交通営団の設立に尽力し、戦後は交通営団を廃止の危機から救い、地下鉄建設を始動させたことから「営団地下鉄の創業者」とも称されます。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
コメント