横浜みなとみらいのヌシ 帆船「日本丸」100歳目前!? あまりにも波乱万丈の半生を知っているか
GHQの命令で朝鮮戦争にも
帆船「日本丸」は中国の上海や葫蘆島だけでなく、ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)、シンガポール、ビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)まで足を延ばしており、総計で2万5000人以上の復員軍人と引き揚げ邦人を日本まで運びました。
そして「日本丸」と「海王丸」は、その後起きた朝鮮戦争でも活用されることになります。特殊任務として韓国からの避難民輸送だけでなく、アメリカ軍の兵員輸送にも従事しました。1950(昭和25)年10月には、仁川上陸作戦の舞台となった韓国の港湾都市、仁川に向けて、大分から国連軍の人員を運んでいます。
「日本丸」が帆装を取り戻したのは1952(昭和27)年6月のこと。すでに「日本丸」と「海王丸」は朝鮮戦争における輸送業務から解放されており、運輸省(現・国土交通省)航海訓練所の練習船として復帰していました。
戦後初となる帆船「日本丸」の帆走遠洋航海は1953(昭和28)年に行われた、マリアナ諸島やペリリュー、アンガウル、硫黄島などへの遺骨収集と慰霊でした。政府代表団と実習生を乗せた帆船「日本丸」は、激戦が繰り広げられ多くの将兵が戦死した太平洋の各島を巡り、慰霊碑の建立や遺骨の捜索と収容を実施しています。
そして、同年6月、ついに練習帆船として本格的な遠洋航海が12年ぶりにできるようになり、ハワイのヒロに向かって東京港を出港しています。翌年には太平洋を横断してアメリカ本土ロサンゼルスへの寄港が実現。1960(昭和35)年にはパナマ運河を越えて東海岸のニューヨークに入港しました。
帆船実習を通じて日本経済を支える船員を送り出していた帆船「日本丸」ですが、さすがに就役から30年以上が経過すると、船体が老朽化したため代船建造に伴って引退することになります。
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