「降りる人が先」って誰に教わったんだろう 鉄道ラッシュを支える「訓練された乗客」はどう作られてきたのか
今と同じ? 「交通道徳」の呼び掛け
現在のような通勤ラッシュが起こり始めたのはちょうど100年前、1920年代のことです。電車通勤するサラリーマンが増えたことで通勤時間帯に増便するようになり、車両は2両編成、3両編成へと長くなりました。
しかしまだ自動ドアの導入以前のこと。各車両の扉は中間乗務車掌と駅員が閉めて回りましたが、乗客が勝手に開けて飛び乗り、飛び降りする光景も珍しくなかったそうです。また、ホームが「かさ上げ」されていない駅も残っており、スムーズな乗降は困難でした。
さらなる増便には停車時間の管理が不可欠です。1928(昭和3)年の『交通と電気』によると、1914(大正3)年の停車時間は主要駅が1~2分、中間駅は30秒でしたが、1918(大正7)年に主要駅は1分に統一。そして1925(大正14)年に主要駅・中間駅全て20秒停車を標準とし、乗降が完了次第すぐに発車してもよいということになりました。
あわせて車掌から運転士への連絡用ブザーやドアエンジンの設置を進めますが、やはり乗客の協力がなくてはスムーズな乗降は不可能です。そこで現代で言うところのマナーキャンペーン「交通道徳」の啓発が始まります。
鉄道省が1925(大正14)年に掲出したポスターは「降りる方を先に、乗り降り御順に」をキャッチコピーに、記事の冒頭に記したように電車の遅れが輸送力の減少につながることを説明しています(高嶋修一著『都市鉄道の技術社会史』)。
交通道徳への関心は、昭和初期の大恐慌から景気が回復し、鉄道利用者が急激に増加した1940(昭和15)年頃から再び盛り上がります。戦時体制のもと統制が強化されたこともあり、警察庁や民間団体、新聞が「一降り二乗り、三発車」の励行を訴えたり、駅でセーラー服の女学生が「御順に一列! 押しあっては却って遅くなります」などとメガホンで呼び掛けたり、あの手この手の啓発が行われました。
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