「これ軽だろ?高性能すぎる」 伝説のバケモノKカーが生まれた“時代” スズキの魂「アルトワークス」
かつて「47万円」で一世を風靡したスズキ「アルト」がもつ、もうひとつの伝説が「アルトワークス」です。当初、国が難色を示したほどの高スペックな軽自動車は、激しい競争の時代に生まれたものでした。
「アルト47万円」から始まった「ワークス」の序章
1980~90年代、若者でも手の届く走りのよい“ボーイズレーサー”と呼ばれたクルマのなかでも、日本独自の規格で大ヒットしたのが、ベーシックな軽セダンのスポーツモデルです。その中でもエポックメイキングな存在といえるのが、スズキ「アルトワークス」でしょう。先代の8代目アルトでも復活した「ワークス」とは何だったのか、その始まりを振り返ります。
80年代は、エンジンの燃料噴射装置がキャブレターからインジェクションへと切り替わっていったように、クルマのシステムがアナログからデジタルへと移り変わりを見せ始めた自動車の変革期でした。それは庶民の味方であった軽自動車も同様で、劇的な変化を遂げつつ、性能や装備でライバルを圧倒しようと、ダイハツとスズキを中心に激しい開発合戦が繰り広げられていました。
いまの軽自動車はハイトワゴンが全盛ですが、当時はアルトやダイハツ ミラのような3ドアセダンが主役。小さく手頃なパーソナルカーとしても愛されていた一方で、ファミリーカーの主力は登録車へと移り変わろうとしていました。そのため、軽乗用車の利用の中心は、一人か二人。そこに目を付けたのが、スズキの鈴木 修社長(当時)でした。
修氏は安さに特化したシンプルな軽自動車を企画しました。「アルト47万円」のキャッチコピーで一世を風靡した初代アルトも、軽貨物車だと物品税が非課税だったことを逆手にとり、3ドアセダンの後席を簡易化することで、4ナンバーの軽貨物車扱いとして誕生したものです。
アルトを先陣に各社も追従し、ダイハツ「ミラクオーレ」やスバル「レックス コンビ」、三菱「ミニカ エコノ」などのライバルが登場。これにより軽自動車市場では、乗用性能を意識した“軽貨物車”である「軽ボンネットバン」が席巻するという不思議な現象が発生しました。
その第2世代となるアルトに追加されたのが、軽最強スペックを誇る「アルトワークス」でした。パーソナルユースに着目し、安さに特化した軽ボンネットバン市場でしたが、その第2世代では、装備の充実化と高性能化が新たなトピックになっていったのです。
コメント