ほぼ“戦わない旗艦” マッカーサーも乗った「揚陸指揮艦」が生まれたワケ “生き残り”は今も日本に

マッカーサーの艦は「置いてけぼり」に

 揚陸指揮艦に求められたのは、司令部要員の居住と通信設備でした。C2型の船倉を士官や乗員の居住スペースにして、船体の前後にあるクレーン用の支柱と艦橋にはレーダーが設置され、それぞれの間にはアンテナ線が張られました。なお、武装は5インチ(130mm)単装両用砲、40mmと20mm対空機関砲が装備されていました。

 こうして登場した揚陸指揮艦は1944(昭和19)年から前線に投入されます。アメリカ軍が同年10月に行ったフィリピン侵攻では、マッカーサー軍の第7艦隊において、マウント・マッキンリー級「ワサッチ」が旗艦として運用されました(マッカーサー司令部は軽巡洋艦「ナッシュビル」が旗艦)。

 レイテ沖海戦ではこの第7艦隊がレイテ島上陸の支援として旧式戦艦を主力にした火力支援部隊で、日本艦隊の西村艦隊とスリガオ海峡における夜戦を行いました。また、日本艦隊を迎え撃つ第3艦隊はハルゼーが戦艦「ニュージャージー」を旗艦として、シブヤン海海戦とエンガノ岬沖海戦を戦っいぇいます。

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レイテ沖海戦で第7艦隊の旗艦だった「ワサッチ」(画像:アメリカ海軍)。

 ちなみにこの時、日本艦隊の接近を知り、みずからが最前線に立つと主張するマッカーサーを、第7艦隊司令官トーマス・キンケイド中将が説得して「ナッシュビル」と「ワサッチ」をレイテ湾に留めたままにしました。サマール沖海戦で第7艦隊の護衛空母部隊と戦った栗田艦隊が、もしレイテ湾に突入していたら第7艦隊の火力支援部隊と海戦になり、「ナッシュビル」と「ワサッチ」も戦闘に巻き込まれた可能性があります。

【グラサンもなし!】揚陸指揮艦で指揮を執るマッカーサーの“素顔”(写真)

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コメント

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2件のコメント

  1. 記事1行目、ガダルカナルの戦いは1942年です。

    • ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。