ほぼ“戦わない旗艦” マッカーサーも乗った「揚陸指揮艦」が生まれたワケ “生き残り”は今も日本に
日本を母港にするご長寿の揚陸指揮艦とは
アメリカ軍はレイテ侵攻後も硫黄島上陸や沖縄戦で揚陸指揮艦を投入しました。やがて戦争が終わり不要になった戦艦や空母が処分される一方、それらの揚陸指揮艦は生き残りました。
1950~53(昭和25~28)年の朝鮮戦争では、北朝鮮軍の奇襲で釜山付近まで追い詰められた国連軍が戦局を挽回するため仁川上陸作戦を実施しました。この作戦で総司令官のマッカーサーは揚陸指揮艦「マウント・マッキンレー」で指揮を執りました。
現在、揚陸指揮艦は1970(昭和45)年と翌71年に就役したブルーリッジ級2隻が生き残っています。1番艦の「ブルーリッジ」は横須賀を母港にする第7艦隊、2番艦の「マウント・ホイットニー」はイタリアのガエータを母港にする第6艦隊の旗艦となっています。
時代とともに海戦の様相が変わり、アメリカ軍が上陸作戦を行う機会は現在ほとんどありませんが、2隻の揚陸指揮艦は就役から50年を超える老朽艦ながら、太平洋戦争以来の伝統を受け継ぎ、艦隊旗艦として今も健在なのです。
【了】
Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。
記事1行目、ガダルカナルの戦いは1942年です。
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。